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その日ぼくは、防犯ブザーを鳴らしました #第二回お肉仮面文芸祭
御巫山戯と真面目との違いは、視点と切り取り方の違いに過ぎない――芸術家は真面目な顔をしてそう言った。
🥩🥩🥩
「キミ。聴きたいことがあるんだ」
ぼくは、背負ったランドセルに付いている防犯ブザーに手が伸びた。
そりゃそうだよ。
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だって、気持ち悪い顔の男が、いつも遊んでる遊具に座って、ぼくを見つめてくるんだもの。学級通信によく書いてあった「フシンシャ」ってやつだ。朧げにしか覚えてないから音しか分からないけど、そんな意味で使ってたはず。
人間の手をしているから人間なんだとは思うけど、それでも怖い。何かされるに違いない。
ぼくは防犯ブザーを思い切り引っ張――。
「待ってよ、キミ」
っ、あ。
コイツ、コイツ、コイツ! ぼくに飛びかかってきやがった! 防犯ブザーを持つ手を、がっしり掴まれた!
やばい、やばい、どうしよう。とりあえず、助けを呼ばないと――!
「だから待ってって」
「ぅ――」
「待てってば」
うぐっ、口を塞がれた。最悪だ。どうしよう。もう死んじゃうのかな。ママ、パパ。やだよ、怖いよ。
「ちょっと落ち着こう? ね? 腕を振り回さないで――た、頼む。仮面に手が当たりそうなんだ」
「んー! んぅー!!」
「やめてって、ボクこれでも正体不明で通してるんだから。不明と不審がボクのアート性を担保してるんだ。国家権力に不明を暴かれて不審を潰されたら、ボクのアートは終わっちまうんだ。アートってのはいつだって、光る『御上の目』って奴にやられる――違う、そういうことを言いに来たんじゃない」
さっきから何言ってんだよコイツは! ぼくはおしっこちびりそうなんだぞ! ちょっとちびってるけど!! 最悪だ!!
「キミ、聞きたいことがあるんだ。そんなに大層なことじゃない」
こっちも聴きたいことだらけだよ! 何なんだよもう――!
「黶観ヶ丘湖って、どっちに行ったら良いかな」
「……え」
……黶観ヶ丘湖? 地元にあるあの湖?
え、この人(?)、湖の場所を聞きたいの?
落ち着いたと思われたのか、口を覆った手は外された。
「っ、はあっ、はあっ……苦しかったんだけど」
「ごめん、手荒なマネしちゃって。でもボクのアートを守るためには必要だったんだ」
「さっきから何なの、そのアートがどうちゃらって……」
「いや、その話は今は良いんだ。取り敢えず、黶観ヶ丘湖の場所を教えてくれないかな?」
「何で」
「いやあ」
目の前のコイツは、答えた。
「半身だけ湖に埋まったら、それも面白いアート写真が撮れるんじゃないかって――」
「……そうですか」
ぼくは微笑んだ。気がした。
そして次の瞬間、油断した相手の隙をついて、防犯ブザーを引き抜いて、鳴らした。
ダメだコイツ――完全に「フシンシャ」だ。何だよ湖に埋まるって。訳わからなさすぎて怖くなって、思わず鳴らしてしまった。
人生で初めて鳴らしたけど、結構うるさいんだ、と思って安心した。
🥩🥩🥩
結局、そいつは逃げてしまった。
何がしたかったのかよく分からないけど、とりあえず事情を聴きに来た警察に全部話して、学級通信にもその「不審者」(漢字だとこう書くんだ)の情報が貼られた。
黒いパーカーに黒いズボン。
スニーカー。
それから、赤い気持ち悪い顔。
とりあえず、早く捕まってくれないかな――黶観ヶ丘湖にはどうも行ってないみたいだけど。
今度あったら、すぐに防犯ブザーを鳴らしてやる。覚悟しておけよ、不審者。
🥩🥩🥩
『注意喚起
最近、以下のような不審者が出ています。見つけた方はすぐに、黶観ヶ丘警察署にご連絡を――』
やられたな、とお肉仮面は電柱に貼られた貼り紙を横目に見た。
深夜2時。今、彼は仮面をしていない。どこにでもいる普通の人間の顔をして、コンビニの袋を片手に提げながら歩いている。
(これじゃあ、アートを遂行できないじゃあないか)
はあ、と溜息をつきながら彼は星空を見上げる。ただそこにいるだけでアートになるそれを妬み、しかし何の意味もないことだと思い返して、また溜息をついて前を向く。
(まあ、仕方ない。別の湖を探そう。日本にある湖は1つじゃない。いや、湖に拘泥する必要はないな――川でも、池でも、海だって良い。自然の中にある不自然。不安を掻き立てる不審と、周囲から理解されない不明。これらがあれば、ボクのアートは実現する。どこだって)
お肉仮面は、コンビニの袋をぎゅっと握り直す。
(しかし、惜しかったなあ)
コンビニの袋の中身を思い浮かべる。
安い柑橘味の酎ハイ。辛味のある煎餅菓子。
(もう少しだったのに――今の子供は、ちゃんと危機意識を持ってるもんだ)
そして、新品のナイフ。
(次はもっとストレートにスマートにやらないとな。無駄なく丁寧に命を使うためにも。ボクの、不自然で不審で不明なアートを完成させるためにも)
さて。
活きが良いのも入ってるし、新作のお肉仮面の制作でも取り掛かるか。
酒でも少し呷りながら、な。
――名無しで無名なアーティストは、夜の帰路を軽い足取りで征く。
🦴🦴🦴
夜道を歩く時には、十分お気をつけを。
後ろに、あなたを狙う彼がいるやもしれませんから――。
ほら、今も。
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おしまい。
こちらは、以下の企画により生まれた作品です。↓
私の当企画のもう一つの記事はこちら。ハードボイルド異能バトルモノです。ぜひ。