グッドデイズ、マイシスター。(完全版)3
3:Verse.(1)
こういう自律AIを――特に現実にモデルがいるものを作る際には、そのモデルのことを深く知らなければならない。
これは、自律AIを作る時に最も重要視したことだ。かつて作っていた『慈愛リツ』の時は、特定のモデルがいなかった訳だが、それでも大まかな設定だけはきちんと作り、運用していた――慈愛リツの場合は、そういうことをする必要性があった訳だが。
今回の場合も同じだ。私は、完璧で究極な音夢崎すやりを作り上げる為に、合歓垣燻離のことを知らねばならない。
――というのは、今のところ表向きの理由。
先にもあった通り、私は彼女の依頼を取り下げさせようと思っていた。そのための最適解は、彼女に自殺を思いとどまらせることだ――何を考えているか分からないが、自殺さえ止めさせれば、自律AIアイドルを作る理由がなくなるように思えたからだ。
だが、何故自殺という発想にまで至ったのか――ここが分からねば、説得もできやしない。
……結局、自律AIを本気で作るにせよ、本気で止めようとするにせよ、私は彼女のことを深く知らなければならない。
そんな訳で最初に切り出したのは、この質問からだった。
「まず、大変不躾な質問かもしれないが――君は本当に、この音夢崎すやりの『中の人』なのか?」
Vアイドル・音夢崎すやりと、目の前の暗い人間・合歓垣燻離は、果たして同一人物なのか。イメージが全く違うからこそ、私はこの点をハッキリさせておきたかった。
「……ああ、声が違いますからね。今ここで証明しましょうか」
そう察すると彼女は咳払いをして、「あ。あ〜〜」と声出しを始める。
それから。
目に光を宿し。
口角を上げ。
息を吸い込み。
「こんすや〜!
貴方に夢を奏でます! 音夢崎すやりだよ〜!」
…………正直、驚いた。
物凄く陰気な空気感を放っていた彼女が、この瞬間、間違いなくアイドルの皮を被っていた。
「――これで良いですか?」
低い声が、私の耳に届く。目の前には、アイドルの皮を早々に脱ぎ去った、陰気な見た目の燻離学生がいた。
……混乱する。
だが、混乱してばかりいられない――私は再び気を取り直す。自殺を止める為、訊かなければならないことは山ほどあるのだ。
私は真の意図をおくびにも出さず、『Vアイドルを自律AIで作るには、「中の人」のことを知らねばならない。そのために質問をする』という表向きの意図を伝えた。
彼女が頷き、納得したところで、質疑応答は始まる。
「では、軽くジャブの質問から。好きなものや嫌いなものは?」
「本当に軽いですね。まあ良いですが……好きなものは歌、嫌いなものは虫です」
「子供時代から、歌は好きだったのか?」
「そうですね。父と母からは、毎晩風呂場で歌ってたよ、と言ってました」
「なるほど。……ちなみに家族は、父親と母親だけか?」
「ええ。父と母、あとは1人娘の私だけ。祖父母は生前に死んでいて、会ったことはありません」
「父と母はどういう人だ?」
「父は寡黙で、特に干渉してくるタイプではありません。母は、まあ普通です。過干渉でもなく不干渉でもなく。関係は悪くない、普通の親子関係だったと思ってます」
「だった……今は、仲よくないのか?」
「私が、こんな状態ですからね」
「……差し支えなければ、そうなっている理由は教えてくれるか?」
「そうですね……まあ、自律AIを作ってくれると貴方、言いましたし。約束破った時用の武器もありますし。それに、そんなことは調べればすぐ分かることですから、ここで隠しても仕方ないですし」
「……」
「誹謗中傷ですよ」
燻離学生の顔に一瞬、陰が差した。
「配信者に付き物の、誹謗中傷。それで傷ついて心を病んで、今こんな状態な訳です。……あ、別に過去の配信の些細な失敗をイジられたりとかは良いんです。何というか……配信者としてはオイシイので」
「人気だった中の活動休止は、それが理由か」
「その通りです」
「余程……酷いもの、だったんだな」
「私の口から出したくないくらいには――気になるのでしたら、アーカイブでもご覧になって下さい」
「ああ……」
「……」
「……」
「……」
陰鬱な静寂が、研究室に満ちる。
私は少し話題を変えることにした。
「……ところで、そもそも何故、Vアイドルなんて目指そうと思ったんだ?」
「先にも言いましたけど、歌が好きだったからですよ。それだけです――初めは。お金を稼ごうとか、もっと沢山の承認を、とか。そんな感じじゃなくて、純粋に、歌を歌って投稿するのが楽しそうだったから、この世界に入ったんです」
「でも、君の口ぶりからするに、徐々にそうではなくなった、と?」
「ええ。やっぱり歌を聞いてくれる人が少ないというのは、こう、クるものがありますから。だから、結構な努力をして、登録者数……というよりは、観客数を増やしたんです」
「アイドルになったのも、それが――観客を増やすことが、理由か?」
「そうですね。それをしようと思い立ったのは、声の活動を始めてから随分後でしたけど。まあそれだけでなく、普通に楽しそうだったんですよ、アイドル。歌って踊って、人と話して。3Dモデルも――あのライブアーカイブで見せたやつですけど、観客を集める為の1つの道具でした。まあ、楽しかった……はずです」
「……いやに曖昧だな」
「すみません。楽しかったって記憶、今はあんまり鮮明じゃなくて。活動をしたという記憶はあるんですけど、そこにくっ付いている楽しいって感情だけが、取れちゃった感じで」
……先ほど見せてもらったライブの映像。
あのライブの後、彼女は数々の誹謗中傷を受け、活動休止に入る。
楽しかった記憶が、もう鮮明ではない――か。
その感覚は、何だか私にもわかる気がした。
「ただ、それでも、31万人まで視聴者を集められたのはすさまじいことだ」
「ありがとうございます。まあ、今となっては、もう意味もあんまり無いんですが」
もう私は。
燻離学生は、身を乗り出す様に言った。
「自身でこのアイドル活動を続ける気はない。でも、アイドルという人格にはこの先も、活動を続けて欲しい。だからですよ――AI学の権威である貴方の所に来たのは」
「……」
ここだ。
私が分からないと思っているのは、やはりこの部分なのだ。
誹謗中傷は酷いものだった。だから心を病んで活動を休止した。ここまでは分かる。
だが、何があって自律AIアイドル――それも自ら演じるアイドルのものを私に作ってもらい、更にはそれを見届けた後、自殺しようとしているのかが分からない。
異常なまでの論理の飛躍ぶりだ。
そしてここにこそ、自殺を止めるための鍵があるはずだと考えた。
「目的は――すなわち、君は自律AIを作って、何を成したいんだ?」
「目的……ですか。その質問、すやりの中の人としての私を深掘るというより、すやりと分離された私個人に関する質問のように見受けられますが、意図は何でしょうか?」
……鋭い。
だが私は怯まずに答える。
「これも自律AI制作に必要なことだからだ。何事も、行動の源泉は欲望だからな――君が『歌を楽しみたい』『もっとたくさんの人に歌を聞いてもらいたい』と言ったような、この自律AIを作るに当たっての根本となるスタンスを知りたい。音夢崎すやりを、人間と遜色なく動かすためなら尚更だ」
「まあ、確かに」
いいでしょう――燻離学生は頷いた。ホッとしている私の内心を知ってか知らずか、暫く考え込む素振りをし、回答する。
だが。
「私の目的は、完成された偶像を作ること」
その答えは、思っていたよりも凡庸で。
「慕う者には最高の笑顔を、誹謗中傷者には最大の苦痛を。それでいて好感度があり崇拝される、絶対的な存在。それが私の目指すアイドルの姿で、音夢崎すやりには、そうなって欲しいんです」
核心からズレているように――自殺する理由に全く繋がらないように、やはり私には思えた。
(Seg.)