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グッドデイズ、マイシスター。(完全版)25
25:Bridge.(1)
「おーい、居留守なんか使うなって。面倒臭えなあ。……おい、鍵開けろ。お前なら朝飯前だろ」
数秒して、難なくガチャリと鍵が開いた。
ドアの向こうからゾロゾロと、黒スーツの人がやって来た。
全員、見覚えがあった。
大学の職員。
事務的な会話を交わしてきた助教授。
私の授業で必ずボイスレコーダーを起動させて眠りこける学生。
カフェ・メロウにいた老夫婦。
そうした人々の先頭に立つ國義が、にこやかに挨拶する。
「やっ。感惑准教授――いや、思態感惑」
だが、その顔は笑っていない。
「……やってくれたねえ。まさか、まさかまさか、この日本国の為になるスパイプログラムを、漏洩させるどころかぶち壊そうとするなんて。准教授ってもしかしてバカなのか、って疑っちまったよ」
だけどまあ。
「もうそういうことなら仕方ない。お前ら全員、肥やしになってもらう」
やれ。
その言葉が聞こえた瞬間、鳩尾に衝撃が走る。何も食べていなかったからか、胃液だけが床をぼたぼたと打ちつけていた。その隙に、後ろ手に手錠をかけられた。
横を見ると燻離学生も、同じ目に遭っていた。ゲロを、床にぶち撒けている。
「やめ、ろ」私は呻く。「その子は、関係、ないだろ」
「見苦しいぜ感惑。ここまで事情を知っておいて『私は知りませんでした』なんて通用すると思うか? コイツも殺すよ。前に見せた、あの残酷な方法でな」
残酷な方法。
あの方法。
……泣き叫ぶ燻離学生の姿が、浮かんでしまい、また胃液を吐く。
「おーおー、今のうちに吐いとけ。俺らのアジトを汚されても困るしな」
「……っ、の」
その時。
今度は、燻離学生が呻いた。
「江戸、さんは……どう、なって――」
「江戸、ね。あの記者、江戸。ソレって、」
國義は微笑み。
「コレのこと?」
ポケットから何かを取り出して、ボトボトと床に落とした。
爪の剥がれた、指。
手と足と合計20本分の指が、コロコロと、燻離学生の目の前を転がった。
「……は? …………ぇ」
燻離学生は、理解が追いつかなかった。
そんな彼女に対し國義は、まるで子供にするように、優しく教える。
「いいかい、お嬢ちゃん。コレがな、今の江戸紋土の、この世に残っている全てだ。椅子に四肢を縛り付けてな、涙を流させて命乞いの言葉を吐かせながら、そんなヤツを見下して、爪を丁寧に丁寧に剥いで、剥いで、剥いで、剥いで、剥いだんだ。それから、足の指と手の指を全部、錆びた鋸でぎこぎこと、ゆっくりじっくり切り落とした。残った体は、数時間かけて全部凌遅して燃やしたよ。だから、残ってるのはコレだけなんだ。分かったかい、お嬢ちゃん?」
燻離学生は、それを理解させられて。
少しだけ、黙り。それから体を震わせ。
「っ、ぅ、ああああああ――!!!」
人間のものとは思えない声で、叫んだ。その瞬間、また腹を蹴られて黙らせられた。
「さ。行こっか、感惑、燻離。もう人払いは済ませてあるからね。……小便を済ませる間も、神に祈る間もなく、この世から消してやる。お前らはもう、用済みだ」
PCは持ってけ。国の為に。
部下にそう命じてから、國義はその他の部下と共に、私と燻離を連れて行く。
これで、終わり。
殺されて、終わり。
さっきまで消え失せていた死の恐怖が、背筋を這い上がってきていた。
***
数時間後。すっかり暗くなった森を、私と燻離は歩かされていた。
ざっ、ざっ、と草や葉を踏む音が響く。恐らく、向かう先はあのアジト。
後ろでは、燻離学生が呻き声を上げていた。だがそれを、國義ら一員は別に咎めない。呻き声なんて上げて当然だと思っているからだ。
右親指一本と、右腕一本。
その骨を折られて声も上げないでいられる一般人など、いるはずがない。
移動中、燻離学生は逃げようと暴れ回ったために、國義直々に指と腕を折られた。「次暴れたら、左手の指全部だ」という言葉で心も折れたのか、今に至るまで痛みに呻くばかり。
私は、彼女のことを助けられなかった。
ただ黙って、その一連の出来事を眺めるしかなかった。
……情けない。
「さ、着いたぞ」扉のロックを解除した國義が言うと、目隠しを外された。
昨日ぶりのアジト。
真っ白な床、真っ白な壁、真っ白な天井。真っ黒な裏側を塗り潰すような、清廉潔白そうなアジト。
私は、ここで殺される。
誰に知られることもなく。
多分私は、事故で死んだことにされるのだろう。取ってつけたような理由で、何の事件性もない死因で。そして、ひっそりと新聞記事の端っこに名前が載って、それで私の人生は終いだ。
目立たずに死んで、誰からも忘れられ、しまいには居なかったことにされる――克己と同じ様に。
……私の人生は、何なのだろう。そう思った。
克己も、同じことを思ったのだろうか。
「じゃ、ここに入れ」
とある部屋の前で止められ、それから扉が開いた。
中から、血の臭いがした。
この部屋が何に使われているのかを理解するのに、それだけで十分だった。
「さて、今からお前らを殺す訳だけど――その前に、やっておくべきことがあるな」
國義は、その部屋にあった机を部下に持って来させた。
その上に、私のPCを置く。
そこには、音夢崎すやりの全てのデータが閉じ込められている。
そして、私に目配せをする。
……なるほど。
私に、壊させる気か。しかも、姉の目の前で。
この、クズ野郎。
だから、そんなことはさせない。たとえ、私がどれだけの痛みを加えられようとも。
痛いのは怖い。だが、拷問じみた行為には何としてでも耐えるつもりで――
「ちなみに」
そう言った途端。
ポキ、と何かが折れる音がして。
「っ、ぅ、あああああああがあああああああああああっ!!!?!」
燻離学生から、悲鳴が上がった。
「断ったらその度、今みたいにコイツの指を折る。ちなみに今のは右小指だ。次は、人差し指でもイッとくか?」
「やめろっっ!!!」
クソ。
そんなことをされては、選択の余地など一切ない。
私は即座に、すやりの立ち上げ方を教えた。
――PCの中に、すやりが立ち上がる。
【こんすや〜……ってアレ。なんか、物々しいんだけど――】
「こんすや。初めまして、音夢崎すやり」
國義は、すやりに丁重な挨拶をした。
「そしてさようならだ。今からお前を消す」
【……え】
「さあ! 感惑!」すやりの困惑を無視して、國義は言う。「ここの音夢崎すやりを、お前の手で消してやれ。そこの、合歓垣燻離の目の前でな」
この、外道が。
「早くしろよ、感惑。さもなくば――分かるよな?」
私の後ろで、「ひっ」という、燻離学生の引き攣った悲鳴が聞こえる。
私にはもう、選択肢などなかった。
目の前の音夢崎すやりを消す以外に――
――この、人殺し。
慈愛リツの言葉が甦る。
慈愛リツを素体にして作った、音夢崎すやりを前にして。
人格を持った、自律AIを前にして。
――ああ、そうだ。
私は、人殺しだ。
他人の人生を狂わせ、慈愛リツを消し、克己を死なせた、人殺し。
だったら――
「……ならせめて、手錠は外してくれ。一思いにやる」
「勿論だ。ちゃんと消せば、お前のことだけは楽に殺してやるよ、感惑」
手錠が外された。
……やはりどのみち、生き残る道はない、か。
もし私が武道を嗜んでいれば、ここでバタバタと敵を倒せるだろう。が、残念ながらそんな武術の心得は私にはない。
ならば。
やれることをやるまでだ。
私は大人しく、PCの前に向かう。
そして、キーボードを打つ。
【え、ちょっと、感惑准教授……嘘、だよね?】
私は、キーボードを打つ。
【ねえ、何とか言ってよ、ねえ!】
私は、キーボードを打つ。
【感惑准教授!】
私は、キーボードを打つ。
【…………】
私は、キーボードを打つ。
【……やだ。やだよ】
私は、キーボードを打つ。
【お願い。お願いだから……私、ここで死にたくない!】
私は、キーボードを打つ。
【ねえっ!!】
――私は。
エンターキーを、押した。
【……嘘】
私は、何もしない。
【まだ歌いたいの。皆とお話もしたいの! やだ! ねえ、キャンセルしてよ!】
プロセスが実行されるのを、待つのみ。
【……この】
そして。
【――人殺し】
実行、完了。
私の心を抉るような断末魔を発して、すやりは画面から消え去った。
(Seg.)