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ポジティブに生きるテクニック

おはようございます。

この間、こんな日がありました。レッスンが最高に上手くいって超ハッピーだった後、学校で友人とたむろしていた時に、結構ヘビーに不愉快な気持ちになった、という日です。そのあと、家に帰って、私はルームメイトに「今日はなんだかいい日じゃなかったわ」と言っていました。時系列の問題もあるとは思うけど、レッスンが上手くいった、それが一番じゃないか!という出来事があったにもかかわらず、嫌なことがあると、どうしてもそっちを見てしまうんだな、という自分の傾向を認識した日でした。おそらく多くの人が、同じような経験があるのではないかな思います。

良かったところを見る、ということは、頑張ってでも実践していくべきことだなと思います。この日のことで、より一層気を付けてそうしてみようと思うようになりました。もうこのところは、家に帰ってまで覚えている嫌なこと、みたいなことは、なかなか起こらないようになりましたが、もしあったとしても、笑えることを探すことをしてみよう。
嫌いな人がいない人生というのは、正直なところ、相当に難しいと思います。私の親友は「嫌いな人って言うのはいないんだよねー。もし、その人がすごく私に意地悪だったり、不愉快な態度をとる人だったとしても、どうしてこの人はこういうふうに振る舞うのだろう?っていう興味になって観察しちゃう」と言っていましたが、この境地に達するのは、人間1回目ではおそらく難しいと思います。彼女は多分人生3周目くらいなのでしょう。
トロンボーンクラスの人たちは、レベルが高くて上手くて素晴らしいプレイヤーであると同時に、みんな本当に、超がつくほどいい人たちです。入学当時は、みんなのレベルとはかけ離れたカスカスな演奏をしていて、私一人英語もほとんど話せなかったのに、誰も私に嫌味を飛ばしたりしなかったし(理解できた限り笑)、空き時間にアンサンブルをするときは必ず誘ってくれた。一緒に過ごせば過ごすほど、会話の節々や身の振る舞いに、尊敬の念すら湧くようなことがよくあります。たとえ嫌な人が身の回りにいたとしても、そういう素敵な人たちに心を向けて、少しでも良い人であれたら、という心意気で過ごしたいなと思います。自分の身近に、自分に近い年齢の人たちで、そういうふうに思える人たちがいてくれるというのは、本当に幸せなことだから。

余談ですが、嫌なことがあった直後、これが嫌だったということをその場にいた彼氏に伝えようとしたんですが、自分の複雑な気持ちを、きちんと言葉にするという作業は、まだまだ英語ではもどかしくて、母国語でない言語での付き合いの難しさを、初めて強めに実感しました。日常会話レベルなら、英語はもうほとんどストレスなく話せるようにはなってきてるけど、この手のことはそもそも日本語でも難しい作業ですし、同じようにはいかなくて。私だけでなく、彼にとっても英語は母国語ではないので(私より数倍流暢だけど)、彼は前から「ガチでお互いの言語も勉強するべきだよ」って言っていたけど、なんせ私は英語とドイツ語で手一杯だったもので、話半分くらいで聞き流していたんです。でも、ひとまずは英語を上達させるだけでも、結構本気で必要だなと実感しました。
でも、彼は私の英語が本当にひどかった最初の頃から変わらず、一生懸命私の話を聞こうとしてくれます。彼の家族も本当にいい人たちです。身ひとつでポンとスイスに来た私にとって、たまに誰かの手料理を食べられたり、困ったことがあったときに話ができたり、こういう存在がどれだけありがたいか、、、
とは言え、余談の余談で、まだ付き合う前、相手の気持ちが定かでないとき(なんだかんだこの時期が結構楽しかったりしますよね)、前出の人生3周目の友人に「周りに会話に困らないかわいい女の子がいっぱいいるのに、なんで彼が英語すら微妙な私をいいって言ってるのかわからない、私は自分のおもろさポテンシャルを披露できてすらいないのに」と話したことがあって。そしたら彼女は「私、付き合い始めは100%google翻訳で会話してたっていうカップルも知ってるよ。相手に、この人を知りたいと思わせた時点で、最大の関門はクリアしてるんよ。自信を持て」と。持つべきものは最強な親友ですね。

練習して、勉強して、幸せを呼ぶ方を見て、楽しく人生を送りたいものです。今だけでなくこれから先もずっと。ポジティブに生活したいし、毎日充実しているので、よりよく変えていけるだろうという感覚もあります。少しずつでも、良い人間になっていけたらいいなと思います。




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