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「ラピスラズリお好きなんですか?」

「ラピスラズリお好きなんですか?」

そう聞かれた時、返答に詰まってしまった。
何かを好きかと問われた時いつも返答に詰まる。

鉱物全般は好きだけれど精通しているほどではなく、ただ"興味関心あり"に分類される程度には心を惹かれる題材であり、鉱物の本を眺めたり博物館で鑑賞したり、展覧会やお店を訪れたりする程度には好きだ。そして鉱物の中で特にお気に入りがあるわけではなく、強いて言えば誕生石のクリスタルやパール、色で言えばローズクォーツなんかが好きだけれど、他の石と大した差はない。そのため、何度か部屋に置く用に何か欲しいなと思ったこともあるけれど、選ぶことが出来ず、購入したことがない。
唯一あるのは高校生の頃に学校の先生からもらった胡麻粒サイズのペリドット。
ものすごく小さいけれども可愛いと思ったので、その価値も知らないままに飾っていた。
未だにそれだけを所有している。
"ラピスラズリ"という言葉は『耳をすませば』に登場するため、子どもの頃から馴染みがあり、なんとなく響きが好きだと思っている。

ただ、鉱物の専門店で「ラピスラズリが好きか」と問われた時に「はい」と答えられるほどラピスラズリに対して熱い想いがあるわけではない。

「ラピスラズリお好きなんですか?」

そう問われた瞬間、頭の中を上記内容が駆け巡った。体感5分。実際にはそんなには経っていないと願いたい。30秒くらいは固まっていたかもしれない。
辛うじて絞り出した返答は

「特に、というわけではないですが……」

だった。申し訳なかった。これには店員さんも顔を引き攣らせていた。引き攣らせて、後退ってしまった。もしかしたら店員さんの体感も5分だったかもしれない。申し訳ない。
気に障ったと思わせてしまったのかもしれない。決してそんなことはない。
もっと気の利いた返答ができたら良かったと反省する。気の利いたことを言える人には永遠に憧れてしまうかもしれない。

これと同様に何かを"好きか"と問われた時の返答にはいつも窮してしまう。
わたしの"好き"とあなたの"好き"の物差しもしくは計量カップの話からさせて欲しいと思う。
どの程度の"好き"なら"好き"だと言っても許されるのか。

"それを突き詰めるまで満足できない"という"好き"ももちろんある
"ただ心惹かれる"というだけの"好き"もあるはすだ。

人それぞれの"好き"を同じ尺度で語るのは難しい。

世の中の人はこんなことでひとり反省会を開くほど悩まないのだろうか。
あの質問に対する答えの正解をいつか見つけることはできるでしょうか。

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