活殺自在
さらさらさら。紙の包みから出てきたのは、なにかの小さな種だった。十粒がころんころんと手のひらに転がり出た。種が乗っている部分にじわりと汗が滲んでくる。手のひらにコロコロと感じる違和感。手のひらを上に向けていなければならないという使命感。そこにあるのは命の重さだった。風に吹かれたら瞬く間にどこかへ飛ばされてしまいそうな重さしかない。指先で挟んで力を入れたら、一溜まりもなく粉々に潰れてしまうのだろう。この命たちを生かすも殺すもわたし次第なのだと思うと、自分のものではないくらいに、腕から先の感覚がなくなっていった。
固まってしまった腕がビクッと動くので、我に返り、手のひらに乗せた種を、一粒もこぼさないように包みに戻した。それをそっと邪魔にならないところへ置いて立ち上がる。玄関から借りてきた、誰のものか分からない軍手をはめて、庭の空いたスペースにブルーシートを広げた。久しぶりの庭仕事だ。やるつもりはなかったのに。広げたブルーシートとその隣にどさっと置かれた土の袋や空のプランターを見てため息が出る。
「物置にあるのは使っていいから」
当然のように飄々と言われ、わたしがやるしかないのかと、紙の包みを手に立ち尽くしたのが三十分前。面倒くさくてうだうだして、テレビでも見ようかとリモコンに手を伸ばした途端、「早くやっちゃわないと日が暮れるよっ」と追い討ちをかけられる。後ろにも目がついているのだろうか。背中を向けられていても、行動がばれるのは何故なのか。テスト明けの早上がり、貴重な時間をのんびりだらだらと過ごしたかったのに。名残惜しさを引きずりながら、とりあえず制服から着替えることにした。居間のテーブルにあるお煎餅を一枚頂戴して、階段へ向かう。
「こら、歩きながら食べない!」
ビクッと部屋から出る足が一瞬止まる。だから、なぜ分かるのか。
「へーい」
お煎餅を口に挟んだまま、気のない返事をし、階段を上りながらぼりぼり食べた。
言われた通り、物置には赤玉土や腐葉土、空のプランターなんかが積まれていた。ブルーシートやスコップやら一式を持ち出して、庭に広げて現在に至る。ため息まじりに赤玉土の袋を持ち上げ、ぼとぼととブルーシートの上に出す。続けて腐葉土も同じようにして、長方形のプランター一つ分くらいの量にする。袋の中にはまだ少し残っていた。使い切れたら楽だったんだけど、多く作って余らせても怒られるだろうから、仕方なし。口を折って閉じて、ブルーシートの脇によける。物置に仕舞うのは最後。
サクサク、ザックザック。
サクサク、ザックザック。
広げた土をスコップで混ぜ合わせていく。それにしても、母の趣味が園芸でラッキーだった。たまたまもらった種を蒔くのに、わざわざホームセンターへ行かなくて済む。ラッキーラッキー、と鼻歌を歌いながらサクサク土を混ぜている途中、はたと手を止めた。ん? 果たして「たまたま」なのかな。もしかしたら、母が園芸好きと知ってのことだったかもしれない。サックサック。サックサック。それならやっぱり母がやるべきだったのでは? 腑に落ちない感情が湧き上がり、スコップの動きもなんだか鈍い。サック、サック。サック、サック。
「あら、果種ちゃん。今帰り? 早いのね」
「あー、うん。テストだから」
家に帰る途中の商店街を抜けた先、古い家が立ち並ぶ住宅街で、景気の良いおばちゃんがよく声をかけてくれる。お菓子をくれたり、野菜をくれたり、果物をくれたり。祖母や母の知り合いらしいことだけは知っている。名前も朧げなおばちゃん。清水だったか白川だったか篠原だったか。水野だったかもしれない。残念ながら家の前に表札はない。おばちゃんは慌ただしく家の中へ戻って行くと、ガサゴソと何かを漁り、また慌ただしく外へ出てきた。いつもの、年季者の突っ掛けを履いている。
「これ持って行ってよ。ちょっと前に採れたんだけど、」
差し出された包み紙に気を取られ、話し続けるおばちゃんの声は耳の間を流れて行く。渡された包みからは、さらさらさらと命が転がってきた。紙の包みは軽かったのに、中身を知った途端、酷く重く感じた。十粒分の命の重みだ。
「うち今プランターいっぱいだから。果種ちゃん家なら蒔くところあるでしょう」
確かにうちにはあるだろう。余っているプランターも、それを置く場所も。
「うん。多分、あると思う」
「なら、持って帰って。うちにあっても捨てるだけになっちゃうし」
十粒の重さを感じてしまっては、その言葉は聞き流せなかった。一粒もこぼさないように、さらさらと包みに戻す。種をどうするかは、後で考えよう。母に託せたら託そう。そっと、壊さないように、こぼさないように、制服のポッケに仕舞った。
「ありがとう」
「こちらこそ。気をつけて帰んなね」
そうして帰った後、母に話すと、「あんたがもらって来たんだから、あんたが世話しなさいな」と、全く取り合ってもらえなかった。「物置にあるのは使っていいから」情けはそれだけだった。
サックサック。サックサック。
母に託せなかったのだから、あの命を捨てるわけにもいかないし、やるしかないのだ。諦めて、とりあえず日が暮れないうちに終わらせようと、スコップを動かす手を早めた。
水を合わせて土に空気を混ぜ込むんだっけ。以前、母の手伝いをした時の、朧げの記憶だけが頼りだ。庭の水撒き用のホースを伸ばし、レバーを引いた。ジャバっと勢いよく出た水は、少し離れた塀へまっすぐ飛んでいった。まるで水泡だ。何かを打ち殺してはいないかと、一瞬ひやっと肝が冷えた。ホースヘッドが一番水圧の高くなる細口にセットされていた。水撒き意外に誰か使ったのか。今日はまだ水撒きをしてないらしい。使い終わったら戻しておいて欲しいものだ。ふんっと鼻を鳴らし、カチッカチッと先端を回した。最初から土目掛けて噴射しなくて良かったな。今頃、水圧にやられた土たちが吹っ飛びブルーシートの外にばら撒かれていたかもしれない。頭に浮かんだ惨状を、ふるふると頭を振って振り払い、優しいシャワーが出ることを確認する。それから、そっと土に水をかけて、空気を含むように混ぜ合わせていく。
サクサク、ザックザック。
サクサク、ザックザック。
十分に混ざったら、ブルーシートの端を掴んで、こぼさないようにプランターに敷き詰める。だいたい人差し指の第一関節くらいだっけ。前に教わった種の蒔き方を思い出しながら、ぼすっ、ぼすっと敷き詰めた土に穴を開ける。これが一粒一粒のベッドなんだっけ。ふかふかのお布団にくるまって、芽が出るまで眠るらしい。どんな芽が出るのだろう。そういえば、何の花の種なのか聞き忘れていた。おばちゃんは言っていたのかもしれないけど、聞こえていなかった。今蒔いても良かったんだろうか。ふつふつと湧いてくる疑問に、汗が滲む。この種を生かすも殺すもわたし次第。
土に蒔かれた種は、どんな花を咲かせるのかな。咲かずに死ぬこともあるかもしれない。できれば全部の芽が出てほしい。どんな花でもいいから咲いてほしい。
土の中で眠る種。もしかしたら、ずっと眠っていたい種もあるかもしれない。
それでもいい。好きにしてくれたらいい。
でも、咲きたい種は、時が来たら、ちゃんと芽を出せますように。
小さくても、大きくても、儚くても、不恰好でも、どんな花でもいいと思う。
時が来たら、花を咲かせられますように。
一粒一粒穴にいれ、上から優しく土を被せた。
ついでだからと、庭中の花木にシャーーっと水をかけてみれば、夕日が反射して、瞬くように煌めいた。新しい命を歓迎するような、神々しい光景だった。
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