だからわたしはライブに行くのだ
「また行ったの?」
「同じライブでしょ?」
一つのツアーで何公演か回っていると言われる言葉。
これまでも何度も言われた言葉です。
その度に思うことは「同じライブなど一度もない」ということ。
その日どんな曲に出会えるのか、どんな心境でそこにいるのか、どんな演出がされるのか、ブロックや座席はどこなのか、周りにいる人はどんな人か、今日来られなかった人は誰か。
いろんな要素が組み合わさって一つのライブが出来上がるので、その時その時で曲の受け取り方も変わります。曲の聴こえ方も変わります。心に深く刺さる部分も変わります。
人生初の遠征の日に響いた歌詞はいつまでも覚えています。
ライブに行き始めた頃は、幸いにもツアーで回ってくる地に住んでいたので、ライブに行きやすい環境だったと思います。学生だったこともあり、県外に行くことは念頭にありませんでした。
しかし、まだ地元での公演にしか行ったことがない時に、あるツアーでチケットが全く取れない、譲渡にも巡り会えない、グッズを買いに行くことしかできない、という経験をしました。
すぐそこにいるのに!すぐそこで演奏されるのに!
この扉の向こうへ行けないというだけで、今日演奏される曲には出会えないのだと、非常に悲しく悔しい思いをしました。
それ以降、地元に限らずどこへでも行こう、行ける場所ならどこへでも、チケットが手に入るのならどこへでも、と強く思うようになりました。
そして迎えた初遠征の日。
その日は曲の序盤で『ゼロ』という曲が演奏され、その曲の中に
という歌詞があります。
もうその時の気持ちそのものでした。
これはライブだ。わたしにとってのライブなんだ、と。
今までCD音源で聴いている時はここまでの強い感情は抱いていませんでしたが、死ぬ気でチケットを取り、旅費を用意し、一人で遠くの地へ赴き、ライブで、生で、その状況で聴くことで歌詞を体感できたのだと思っています。
こういった体験が今まで行ったライブの中でたくさんあります。
その場にいなければ感じることのできなかった音楽、感情、興奮、感動がたくさんあります。
その日にしか味わえない感動のひとつに、曲の歌詞替えがあります。
通常の音源では曲の終盤でこの歌詞が繰り返されます。
でも、あるライブの時、繰り返される最後のひとつが
と変更されました。
会場全体が歓喜で沸いた瞬間でした。
世界に向かって「僕はここにいる」と自分の存在を叫んでいる曲だと思っているのですが、それが、「君もここにいる」と同じく生きている存在を確認できて嬉しいと叫んでいるようでした。
「今、君とこの最高の時間を共有している」「共に最高の時間を作っている」「一緒に最高のライブにしようぜ!」と言われているようでした。
突き詰めれば「僕は生きてる」「君も生きてる」という、今の、この一瞬の、命のやり取りへの祝福のようでもあり。
やはりライブは「生きているのだ」と「生」を実感できる場所なのだと思います。
歌詞替えについては以前、事前に用意しているものではなくその時感じたことを言葉にしているのだと話されていました。
まさにライブでしか生まれない歌詞なのです。
リアルタイムの感情から生まれた言葉に心を震わされる最高の体験です。
その日、その時の、その曲を感じたい。
その日にしか出会えない曲と出会いたい。
生きているのだと実感したい。
だから、わたしはライブに行くのだと思います。
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