ぶっかけ論争
最近になって倅が1日3食飯を食うようになった。とはいえどシャバシャバな離乳食であるが、一歳近くなるとこれでもかと言うぐらい成長が早い。遂に米を食い始めるようになった辺り、成長したんだなあと感心してしまう。しかし彼にも好みはあるようで、割とクリームシチュー系の味の時は満面の笑みを浮かべて上機嫌に食べるが、魚出汁など和風の時は不快な表情を浮かべる。そんなに違うのかと思って一口貰うと怪訝な面持ちをするのだが、独占欲が強いところは私に似ているのかもしれない。
一つ解せないのが、倅がクリームシチューとご飯の組み合わせを好んでいる点である。いわばクリームシチューと飯を混ぜたような食い物なのだが、この辺は誰に似たのかと首を傾げてしまう。私自身、日常生活において白米の上にクリームシチューをかけて食うことは無い。むしろクリームシチューなど飯のおかずにならず、あれはパンのお供として食うものと認識している。
数ヶ月前に味噌汁ぶっかけ飯の賛否についてマツコデラックスが発言したことで論争が起きたというネットニュースを見たが、これは味噌汁だけでなく、クリームシチューも同様である。そして私自身、味噌汁を飯にかけて食う行為には否定的だ。育った環境や親の躾など抜きにして、単純に味噌汁をかけたご飯やクリームシチューをかけたご飯は不味い、という見解だ。そもそも味噌汁は「食べる」ものではなく「飲む」ものという認識であり、元々ご飯にかけて食う仕様になっていないため極めて味が薄い。そのため飯にぶっかけると薄味の汁飯になった気がして物足りなく感じてしまう。
ただ、決して飯に汁物をかける行為に対して否定的なわけではない。ラーメンの残ったスープに飯をぶち込む行為は最高だと思っているし、鍋の〆は米モノに限る。当地に「たまごみそ」という郷土料理があるのだが、私はあれを飯の上に載せ、その上から水をかけて食うのが大好きである。その名のとおり、たまごと味噌を出し汁で煮詰めただけのいわば「味噌汁のコアな部分を凝縮したやつ」という感じなのだが、単体だとかなりしょっぱいので、それに水をかけて調和させることでまろやかになった気がして、しかも掻き込みやすくなるので食欲がない時などは最高である。
では「味噌汁をしょっぱくして飯にかければよいのでは」などと言われそうだが、そもそも味噌汁をしょっぱくしてしまえば味噌汁ではない別の料理になるため論外だ。あとわかめだの豆腐だのがそれを邪魔する。但し麩は良い。話は脱線するが、私は硬いものが汁系のものに浸った食べ物が好きで、即席ラーメンなどもそれなりに硬い状態の方が好ましいと思っている節がある。その「硬やわ系」の中でも「カツ丼」や「かつとじ」に関してはその道の最高位に位置していると考えているのだが、同様に麩も硬いまま食すことを好んでいる。当地ではある程度著名な「松尾の板麩」は味噌汁と共に煮ず、お椀に注ぐ際に入れるのが非常に美味い。これはどん兵衛などに付属される天ぷらや揚げを後から入れて食べることと同じであり、複数の食感を味わえる感じがするのはまさにカツ丼と同じ理屈だ。
話は戻すが、味噌汁同様にクリームシチューも飯の上にかけるのは許し難いのだが、その癖ドリアや近年流行りの「シュクメルリ」みたいな白いぶっかけ料理については割と美味いと思っている。単純にクリームシチューは変に甘い味なので飯とシンクロしないと思う節があるのだろう。考えてみれば当地の赤飯なんかも甘くて食う気がしない。ホワイトシチューの兄弟分であるビーフシチューを飯にかけることは大歓迎だったりするので、やはり飯のアテはいかにしょっぱいかが肝心で、甘いのはやはりパンとかの類でやってほしいと思う。
世間的に「クリームシチューを飯にかけて食うか食わないか」の統計を見ると、実に6割以上はかけて食うというデータがある。
確かに学生時代、学生寮にいた友人に寮の夕飯をご馳走してもらってことがあったのだが、その際のメニューが他ならぬクリームシチューだった。寮の食堂のおばさんから皿を一枚だけ渡されて「え?」と思ったが、周りを見渡すと皆があたりまえのように飯を皿に盛ったあとクリームシチューをかけていた。寮には海外からの留学生も数名居たが、皆疑問に思うことなくクリームシチューぶっかけご飯を食べていた辺り、この6割以上という数字は世界共通かも知れない。ただ、パンと一緒に食べる方が美味いという認識だけは忘れないでほしい。前述の通り、硬いものを程よく柔らかくして食べることの良さは、海外の料理に多く取り入れられているというか寧ろパンを主食としている国の方が多いので、日本人よりも海外の人の方がよく知ってるはずである。
結局のところ食い方なんて人の勝手で、自分が一番美味いと思った食い方が一番美味い。そう思いながら季節外れのクリームシチューを食べていた今日、もちろん皿はひとつだけで、まさかの飯の上にかかった状態だ。理由はただ一つ、洗い物を最小限に抑えるためである。我が家では夕飯の食器洗いの担当は私だ。───大人になって少しだけ学生時代の友人が住んでいた寮の食堂のおばちゃんの気持ちがわかるようになった気がした。