3/15の記録
父の命日が近いので、父のことを考える時間が最近それなりにある。
母と暮らすことになって、私の部屋の荷物は徹夜で段ボールに詰め込んで運んだけど、父は自分の持てる荷物だけ持って家を出た。お気に入りだったコートもバッグも、集めていた家具も、全部置いて。
「男はつらいよ」のビデオ全巻セットは友人へ預けてたっけな。
家の中は私の部屋だけが空っぽになって、それ以外はまるで誰かが住んでるみたいな状態のまま、家を出た。
夜逃げみたいなもんだから数ヶ月分の家賃も踏み倒してるわけで、こんな風にわざわざ文字にしていいような話じゃないんだ本当は。
父に振り回された人生のように感じる。振り回されたことは、リアルタイムでは勘弁してくれよと思うことばかりだけど、振り返って思い出話くらいに思えるのは今が幸せだからだと思う。
そう考えたら人に振り回されるのも悪くないな。
遺品整理、部屋の中には沢山の洋服と沢山の本と沢山のメモだらけで。
引っ越してから開けてもいないであろう段ボールも押し入れに沢山詰まってた。
さっき書いた時だけじゃない、これまで何度も自分が好きで集めてきたものを置いて出ていかなければならないことがあった父だから、自分の好きなものを集められることが嬉しかったんだと思う。
あるだけできっと嬉しかったんだよね。
でも死んでしまえば全部ゴミになる。生きてても同じか、価値は生き死にだけで決まるものではないもんな。
沢山の父のコレクションをゴミ袋に詰めながら色んなことを思い出して時に涙して、あんなに有意義なゴミを捨てる時間は今後あるのかな。わからないけど。
一人暮らしの父には広すぎた部屋。
パッとやれば1日で終わるでしょ、と思っていたけど物量が多すぎてとても1日では終わらなかった。
写真は片付け終わったキッチン。棚にもなんか色々入ってて、こんなに物いらんだろって思ったりもしたけど、冷静に考えれば私の部屋もこんな感じで「これいる?」みたいなものばっかりなんだろうな。
死んでからもこんな風に思い返したくなる時間を残してくれて、ねぇ。
1年なんて本当にあっという間だし、順当に行けば次は母の遺品整理も来るのだろうし、もしかしたら私が先に遺品整理をされる側になるのかもしれないけど、まだまだやりたいこといっぱいあるから、過去でもなく未来でもなく今をしっかり楽しみたい。
その上で、いらないものはどんどん捨てていこう。私が今どんなに大切にしているものでも、いつかは大切じゃなくなる時が来るし、そうじゃなかったとしても私がいなくなったら全てがゴミになるからね。
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