『ぼっち・ざ・ろっく!』細かすぎる全話演出解説を通して学ぶアニメ演出④-2
第5話「飛べない魚」その2
第5話前回の記事はこちら。
今回も長くなりそうですので、四の五の言わずにスタートしましょう。
【クレショフ効果による心理描写】
ひとりの回想+モンタージュ・シークエンスが終わると、ひとりの様子がおかしいことに気付き、適当な理由を付けて合わせ練習を早々に切り上げる虹夏。
切り返しショット(カット・バックも同じ意)でひとりと虹夏の様子がそれぞれ描写されるが、ひとりをピンショット、虹夏をひとりの肩越しショット(OTS)で捉えることで、虹夏がひとりを一方的に見ているという意味合いが与えられている。
OTSは、基本的にはOTS同士のカット・バックで描写され、それぞれのカットが調和するように構成されるが、このように片一方のキャラクターをピンショットで捉えることでその調和が崩れ、違和感や緊張感が加わり、「クレショフ効果」により、後のカットで示されたキャラクターの心情と同一化される。
「クレショフ効果」は、人の目がビジュアル的な刺激にどのように反応するか研究していた、旧ソ連の国立映画大学教授レフ・クレショフが提唱し、エイゼンシュテインのモンタージュ理論の基礎となった。
クレショフは、同じ表情でも組み合わされるビジュアルの違いによって、それを見た観客が、その人物の考えていることや感情の意味を異なって感じることを実験で確かめ、理論化したものだ。クレショフが作成し、実験で使用したオリジナル・ビデオがyoutubeにある。
【「隠すこと」と、救世主?!~ライティング演出の妙技】
上:合わせ練習が終わり、1人寂しげに帰路につくひとり。
画面左側にある自販機の商品見本照明、同右側にあるショップの看板照明がレンブラント・ライティングの効果を出している。
レンブラント・ライティング、あるいはキアロスクーロ(ライティング)は、ルネッサンス絵画で発展した明暗法で、主に明暗のコントラストを意識的に作り、立体感を表すために用いられた。
「照明」は、一般的に暗い撮影現場で被写体を明るく照らし出すために用いられるものだが、画面全体を一応に明るくする照明は特に「TVライティング」と呼ばれ、立体感がなく平面的なため、映像作品では特別な場合を除いて避けられることが多い。
撮影時に自然に影が出来る実写とは違い(それが苦労の元になることもあるが)、アニメーションでは、前髪の下とか顎の下のように、キャラクターの色彩設計で指定された箇所以外、何の演出指示もなければ「TVランディング」になってしまう場合が多く(下記のツイート参照)、ライティングは、コンポジット(撮影)時の最後の最後まで突き詰められる。
このショットでは、レンブラント・ライティングで描出された明暗が、ひとりの孤独感をエモーショナルに醸し出す効果を生み出している。
下:背後から虹夏に声を掛けられるひとり。
ここでは、プラクティカル・ライト(モチベーテッド・ライトの一種)である自販機の商品見本照明がバック・ライトとなってレンブラント・ライティングの効果を出している。
「モチベーテッド・ライト」とは、映像に映っているショットの中で自然に存在する光のことで、光源が画面の中になくても構わない。その反対は「アン・モチベテッド・ライト」という。音でいうならダイジェスティック・サウンドとノン・ダイジェスティックサウンドに相当するもの。
一方、「プラクティカル・ライト」は、モチベーテッド・ライトの中でも、光源自体が映像の中に視覚的に現れている状態のことを言う。従って、プラクティカル・ライトは必ずモチベーテッド・ライトになる。
そして、バック・ライト(ライティング)やレンブラント・ライティングは、「光」がどのような演出効果を出しているかの種別で、光源がどうのとは関係がない。
だから、照明は、大きく「モチベーテッド・ライト」と「アン・モチベーテッド・ライト」に分かれ、その中でも目的別にいくつかの種類が分かれている。逆行撮影時などで用いられるレフ板で付け加えられた光は、アン・モチベーテッド・ライトの典型だろう。そして、それぞれがどのような効果を出すかによってバック・ライトやサイド・ライト、レンブラント・ライティングなどという呼び方がある訳です。
このショットでは、バック・ライトの効果により、画面右側半分を占めるひとりの背後の暗闇が強調され、ひとりの心情の象徴として機能している。
そして、ひとりが虹夏の呼び声に気付くところで、その背後がバック・ライトで「パッ」と明るく照らし出される。ハッキリいって、このライティング演出は鳥肌モノだ。
バロック・中世からルネッサンスにかけての宗教(つまりキリスト教)絵画では、「光」が表すのは神、つまりイエス・キリストだ。また、大乗仏教的に言えば、「背後の光」は「如来(仏像)の光背」と見ることが出来る。つまり、イエス・キリストを「救世主」、「如来」を漢訳表現的に「人々を救うためにかくのごとく来たりし者」とすれば(私は神道なのでどっちでもいいのだが)、このカットに於いて、ひとりにとって虹夏は正に「救世主としてここにやって来た」という象徴的表現にならないだろうか?
【隠される救世主の表情からの、見ることのエクスタシー】
【ライヴ・シーン怒涛の展開】
さあ、ここからいよいよライヴ・シーン(オーディションだが)だ。
まずは、その準備から。
すぐに演奏に入らず、はやく演奏シーンを見たい視聴者の気持ちを煽っていく。
「ネジを締める」=「気を引き締める」ということで、同じ意味のメタファーを連鎖してのイメージ・マッチング。
こちらも同じ。
そして演奏が始まると、
カメラは、あらゆる方向へリバース・ショットしていき、アッセンブリ(短いカットを連続的に切り替えていく)でリズムを畳み掛けていく。
実写でリアルタイムにこういったモンタージュ・シークエンスを撮影してのくのはほぼ不可能だ(カメラが何台も必要)。
そして、サビまでひとりの独白をサウンド・ブリッッジにしてカットが替わっていく。
途中、カット・アウェイとして音圧に揺れるペットボトルのショットを入れ、「音の視覚化」を行っている。もし、これがサイレント・アニメだとしても、音楽が鳴っていることが伝わるだろう。
続けて、ひとりが「オーディションに落ちる訳にはいかない。このままバンドを終わらせたくない」と決意したところで、
ひとりを背後からのワイド・ショットで捉える。
ヘッドルーム(キャラクター頭上の空間)を十分にとったクローズド・フレームだが、背景にはただ黒い深淵と、内装の鉄骨の無機質で幾何学的な模様があるだけで、画面に緊張感が漂い、カットが長めに映されるので、その緊張感がドラマチックに盛り上がっていく。
カットが替わると、ひとりがステージを突然「ガンッ!」と足踏みするショットがクロース・アップで。
ワイド・ショットからクロース・アップへの大胆で意外なフレーミングの切り替えと、激しいモーションで視聴者を驚かせる「スマッシュ・カット」だ。
タイトなフレーミングのオープン・フレームなので、方向性が曖昧になるため、キャラクターの視線で位置関係を知らせるアイラリン・アンカー。
このように、カメラを極端なロー・ポジションに置いた安定感があるダイナミックなショットは、被写体を実際より大きく感じさせ、自信に満ちたように見せる。
「オブジェクト・オーバーラップ」でリョウの手前に喜多を配置して「奥行き手がかり」とし、フレームの二次元性を打破するために奥行き感を演出。ダイナミックなフレームと真実味のある三次元空間を作り出す。
さらにカメラは、画面左(下手)側に見切れている喜多の髪をフレーム・インしたまま90°左に振って画面右(上手)側に捉え、空間的な連続性(コンティニティー)を維持した上で奥行き手がかりとし、再度オブジェクト・オーバーラップで遠景にPAさんと虹夏姉を配置して奥行き感を出す。
キャラクター同士の「横並び」(プレーン・ステージング)が「融和」を表すなら、「縦並び」(デプス・ステージング)は「対立関係」「緊張関係」を仄めかす。
次に、カメラはリバース・アングルして、PAさんと虹夏姉のPOV風のフレーミングで喜多を正面から捉え、喜多がPAさんと虹夏姉を意識していることを仄めかす。喜多が見ているものを直接描かない(アンシーン)ことによって、緊張感を出している。
ちなみに、喜多の(画面)右側がルーズになっているのは、ひとりの存在が意識される。そもそも、カメラがここまで動いてきた切っ掛けは、ひとりの心境変化だったからだ。
「ホイップ・パン」は素早いパンで、パニングの最中の映像を意識的にブラすことで一種のトランジッションとする(ここでカッティングしてホイップ・カットにすることも)ことで、画面上の距離感がより強調される。
これはあまり知られていないのだが、上記のツイートにあるように、背景の横パンが1コマ(1k)で動いているのは、人間の目は横の動きに敏感なので、2コマ(2k)撮り、3コマ(3k)撮りだと、コマ落ちしてスムースに動いて見えないからだ(モニターが液晶であろうと有機ELであろうと関係ない)。
演奏が終了直前、画面分割によってメンバーそれぞれの表情を同時に見せ、擬似的なプレーン・ステージングになる。
この同時性によって、今までの全てのシーンがここに収束してくるのだ。
ライヴ後の会話シーン
ライヴが終わると、PCに向かって仕事をしている星歌に、フレーム外のoff台詞でPAさんが「店長」と声をかける。「本当は最初からあの子たち(をライヴに)出すつもりだったんでしょう?」と。
このPAさんの言葉に「うっ」となる星歌の右隣にPAさんが座る。
このカットは、いわば星歌がPAさんに突っ込まれるショットなので、スクリーン・ダイレクションによる、画面左右の強弱に則したレイアウトになっている。また、キャラクターの上、画面半分にも及ぶ広いヘッド・ルームをとることで、会話にストレスのない、穏やか感が出されている。
次にカメラは、「ライヴ・スケジュール一枠開けてた」と言うPAさんを、星歌との肩越しショット(OTS)で正面から捉える。
特にOTSにする必要性はないと思うが、PAさんは別に星歌を責めている訳ではないので、単にリアルな雰囲気のあるショットといえるだろう。
続けて、カメラはアングル/リバース・アングルとなり、PAさんのOTSで星歌をやや斜め左のパースを付けたショットで捉え、星歌の素直でない気分を象徴させる。
そして、カメラは一気に引いて、シークエンス頭と同じ構図を繰り返す。
しかし、今度はPAさんが弱い側の画面下手側、星歌が強い側の画面右側に位置し、「それ以上しゃべったらクビな」という発言の強さを象徴的に描き出す。
以上、『ぼっち・ざ・ろっく』第5話の演出の解説でした。
次回は、第6話をお送りいたします。
あと、ご意見、ご感想の他、「SEって何?」とか、この用語わからねーよ!というどんな細かなご質問も構いませんので、ご気軽にどうぞ。というか、お待ちしています。
第1話、第2話の記事はこちら。
第3話の記事はこちらです。
第4話の記事はこちらです。
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