9/24 菓子折を受け取らないまち
突然吹き回しを変えてくる秋の風に、皆いそいそと羽毛布団を引っ張り出している頃。はまには祭りの鐘が聞こえてくる。秋祭りの最終日に披露される踊り「かいねり」の練習の音頭だ。大きな伝馬船を派手に揺らして進みながら、独特な鐘の音と「ホーランエー」の掛け声と共に、船上で踊り子たちがしなやかに舞う様子は県の無形文化財にも指定されている。はま地区の男子のみが参加できるというルールで、戦後から伝えられてきたこの風習は、平家の戦勝に寄与した瀬戸内の海賊、河野水軍の武勇を讃えた踊りが起源とされている。その様子は勇壮だとか雄々しいとかよく表されるけど、船の端っこで、大きな波の揺らぎに合わせてバランスをとる踊り子たちは、海風を涼しい顔でかわしながら自分の役をこなしていて、その自然的で凛とした立ち振る舞いに、この港町によって守られてきた風習ならではの魅力を感じる。
現在は、高齢化が著しく進むはま地区で、若い男子のみに参加対象を絞っているととてもじゃないがこの文化財を保存できないので、性別を問わず北条地区の小学生たちに間口を広げている。集まった子どもたちの数は予想を大きく上回ったようで、練習の後に配る駄菓子やジュースが足りないのだと、保存会のおいちゃんたちは嬉しい悲鳴をあげている。
あれはまだ、晩生の柑橘の匂いに満たされていた4月の中頃も、同じ鐘の音を聞いていた。かいねりは5月と10月に2回あるから、はまでは年に2度この鐘の音を聞く。
イベントの主催メンバーと片づけながら話をしていた22時すぎ、突然おばちゃんが店に乗り込んでくる。
「あの道に車を止めとるのは誰?!」
おばちゃんが指差した先は、釣り客も自由に停めている共有の私道(はまの道はこういう道が非常に多い。)だったのだが、その先の細い曲がり道に差し掛かるように、メンバーの一人が車を停めていたのがまずかったらしい。おばちゃんの息子さんが、その道の先の車庫に入ることができず諦めて車を別のところに置いて帰宅してきた、といわれて、友人に車を急いで動かしてもらった。
翌日に、改めて謝りに行こう。はまで仕入れたブラッドオレンジと、アスリート系農家山本さんからいただいた強烈に甘いトマトとブロッコリーを袋に詰めて、おばちゃんの家に向かう。
「ああ昨日の」と怪訝そうな顔をしたおばちゃんが扉を開け切るのを待たずして、食い気味に「昨日はすみませんでした」と野菜の入った袋を手渡そうとしたら、それを覆い被せるような声量で制された。「もう!そんなつもりで言ったんじゃないんよ、あんた!ちゃんと商売をしなさい!!!」とむしろ昨晩よりも強めに怒られた。
私も駐車場の出口が塞がれて家に帰れない辛さを経験したことがある。その申し訳なさを野菜にあらわそうとしたけれど、受け取ってくれそうになかった。話を聞くと、おばちゃんの息子さんはまだ運転初心者で、ただでさえ狭い車庫の入り口には度々苦戦しているのだそう。「まあ、うちの新米マークが帰ってくる時間だけ、道の入り口を開けといてくれたらいいのよ」と、ブラッドオレンジだけ、物珍しそうにして受け取って扉は閉められた。
パイプ椅子を区長さんから借りた昨日もそうだ。はまで行う上映会のために借りたパイプ椅子。またすぐ使うから、外に出しておいて、と言われてどこに返却したらいいかは教えてくれていなかった。使い終わった次の日に、とりあえず店の外に出していたら、一瞬にして10脚丸ごと姿を消しているではないか。もしかして、と公民館に行くと、案の定、店の外に出しておいたパイプ椅子を運んでくれたであろう区長さんが、汗を拭きながら別のおいちゃんとのんびり喋っている。
「はまの区長はいつも暇やけん、ちーと体を動かさんと。このおいさんの健康のために、いつでも使うてな」とおいちゃんは茶化す。名前は白石さんだったっけ。小さい頃からよく見かけるけどちゃんと話したことはない。はまの人たちはそんな人がほとんどだ。
私は区長さんに昨日の上映会のクッキーと、摘果したまだ酸っぱい甘夏を渡すと、もうええのに!と苦笑いで遠慮する。まあまあ、奥さんに渡してくださいと受け取ってもらった。余計なコミュニケーションはなかった。おそらく、はまの人とちゃんと、しらふで話すことはこれからもずっとないだろう。
というわけで、本格謝罪系菓子折りを渡すようなことは、まだしでかしてないのですが。「ほんの気持ち」を受け取るのが苦手なはまの人にも私はめげずに渡し続けようと思っている。イベントでお客さんと楽しんだ美味しいものだとか貴重な機会とかを、その裏で協力していただいた人に渡すのはとても自然な流れのように思う。
同時に、自分のポンコツさをお金やもので補填してうまく収めたい、と思う自分もいるけど、この世界では、最優先順位はいつでもお金とは限らないし、その手法は私の場合だとお金がいくらあっても足りない。
港の人との付き合い方は、じいちゃんが縁側で作っていた仕掛け縄のようだ。絡まって、ほどいてを繰り返して、一つずつ、確かな手つきで針をつけていく。