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人生はコンテキスト

アイルランドで働いていたゲストハウスには、
アマンダという女性が暮らしていた。
彼女は仕事をしておらず、生活保護で暮らしていた。
アイルランドは、様々な事情を持って働けない人に、お金で解決できる範囲で優しくふるまう。でも根本的なことほどお金じゃ解決できなかったりする。

彼女のベッドの周りを掃除するたびに、いつも注射器と薬、そしてたくさんの紙くずが出てきた。
私は一度興味本位でその紙くずのしわを伸ばしたことがあって、
一語目から最後までひたすらSorryと殴り書かれてあったのを見て震えた。ずっと暴力を振るっていたボーイフレンドに向けてあてた手紙のようだった。ボーイフレンドの家族から本人に連絡があったらしく、なにがあったか知らないが、私がその手紙を見た数日後に、アマンダは宿を出た。

アマンダが薬をやめられなくなり、ボーイフレンドにDVをはたらくようになったのはどうしてか。生活保護で生きる道を選んだのはなぜか。
マネージャー(兼恋愛マスター)のジェシーと、ゲストハウスの住人(兼ほぼスタッフ)のマイケルにこの国の社会福祉の仕組みを聞きながら、ああでもない、こうでもないと考えていた。
アイルランドには一定数、こういった暮らしをする種族がいるが、
当事者にとってはこの暮らしは悲愴ではなくむしろ牧歌的のように見える。
けれど、アマンダのその、敬虔に原罪を背負ったような悲痛な表情には、
こうなりたいと思って生きてきたわけではないし、今こうであることへの苦しみがすぐに伺えた。でも、彼女が結果この道を進んでいることは、彼女のひとつひとつの選択の結果であることは間違いない。

本がすべて一行一行、一語一語からできていることになぞらえると、
人の一生は、選択の積み重ねで構成されていると思う。
時代背景、生活環境、家族構成、身体的特徴、
それぞれに与えられた設定のうえで。

だから、一冊の本を書くつもりで日々を生きて
一冊の本をめくる気持ちで人と接すると、
私たちのいる場所が、いつでも互いの物語にとって最新のページであり、いつでも私たちは物語の途中だと気づく。

時々は私の選択の余地のないところで、良いことも悪いこともやってくる。良い人、どうでも良い人、憎い人、預言者、超能力者、奇人変人、いろんなキャストが私の物語に勝手に登場しては去っていく。一つ一つをどう対処するのかは、作者である私の選択に委ねられている。
読み返してみるとそれが案外と面白い文脈になっているかもしれない。人生はコンテキストと思うとわりとしっくりくる。

逆に言うと、ここまでの文脈を一切知らないまま
ランダムにページを開けば、作品の面白さがわからなくて当然だ。
だから、初めて知り合う相手を、背景も知らないまま勝手に説明づけないように、
一行一行丁寧に、彼らの綴ってきた物語を知ることが、相手への理解をたすける。

綴らねばならないと筆を走らさなくても、空白のページがあってもいい。
行間も独特の味わいだから、文と文の間の空白も理解できると、
自分の物語も、他人の物語も面白がれると思う。

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