わしらの貝しごと(中)
赤灯台は思ったより遠かった。4馬力の伝馬船を走らせて20分ほど。
魚屋のじいちゃんを先頭に、ライフジャケットを被った私を真ん中ではさむように、一番後ろで別のじいちゃんが操舵する。
途中、鹿島の先端にある「一文字(いちもんじ)」と呼ばれる防波堤を指差して、ずいぶん前に亡くなった叔父の話になった。
ただ港を抜けた頃には、深い青を切り裂く水飛沫の音でじいちゃんの話は全く聞き取れなくなった。とりあえずうなづいて聞いているふりをしておく。
到着してすぐはまだ完全に潮が干いていないので、よくすべる岩場を慎重に踏んで、磯と波の間をずぶずぶとかき分けていくことになる。
「ように見とれよ。へばりついとるのがヒナタメじゃ。大きいのはセトガイ。これは小さいけどセトガイ。こっちは大きいけどヒナタメ。まあ、どっちも同じようなもんよ」
大きな岩と岩の隙間、ウニやヒトデ、そのほかあらゆるストレンジャーシングスたちにまぎれて、微動だにしない黒い塊。潮が干くほどに、その数のおびただしさに驚いた。かれらがヒナタメだった。岩牡蠣にへばりついているものも、灯台のハシゴにひっついているものもいる。遠くからは廃墟にしか見えない人工物は、近寄って見ると、その世界に生きるものの手にしっかりと渡っていた。
じいちゃんは説明もそぞろに、ナタ、包丁、モリ、あらゆるものでヒナタメをこそげてとっていく。岩にしがみつき、よじのぼり、なんかの拍子で擦りむいたのか、薄っぺらい軍手がところどころ朱色になったが決してその手は止めない。水位は腿まで来ていて、じいちゃんがいつも来ているバ先の作業着はすぐに水を吸って重たそうになっていて、着衣水泳を思い出した。ヒナタメ採り、序盤からこんなにハードなのか。村上さんのツナギがないと、本当にズブズブと沈んでいた。
ふと顔を上げると、採れた貝を入れる土のう袋が随分遠くの方に浮かんでいて、潮が満ち始めていることに気づいた。満ち始めたら本当にすぐや、じいちゃんが言ったが早いか、潮はざぶざぶと土のう袋を押し流していく。ずぶ濡れの作業着のじいちゃんは、岩牡蠣と海水のたっぷり入った重たい袋を引っ張ってどうにか船に乗り込む。何度か風に煽られながら、今はもう満ちきった岩場の窪みを抜けて、エンジンをかけた。
キラキラの光を浴びた船は、きた時よりも派手な水しぶきをあげて帰っていく。両端のじいちゃん二人はこの潮騒の中で何やら会話をしているが、真ん中にいる私が全く聞き取れない。若い人にしか聞こえない周波数の音があると聞くが、じいちゃんにしか聞こえない音もあるんだろうか。
丘へあがったら、特に声を掛け合うこともなく散り散りになった。
夕暮れ時の桟橋の上で、これから船を出す漁師とすれ違う。
「楽しかったかい」と聞かれて、相変わらず鼻水の止まらない私の返事は多分船のエンジンの音にかきけされた。
じいちゃんたちはこれから晩酌に入る中、私はもらった貝と共に第二クールを始める。