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おかみはきっとジムリーダー説

ゲストハウスで働いている人はみんな旅好きで、
バックパッカーの経験があるのかというと決してそんなことはない。
私に関していうと旅は苦手だ。
電車の乗り換え、重たい荷物、知らない道、時に集団行動。疲れる。
勝手のわからない土地、違う匂いの布団、落ち着かない。
飛行機、新幹線、耳痛い。移動すらも億劫だ。これもどこでもドアが開発されるまでの辛抱だ、と思いながら、今日も変わり映えしない我が家のドアを開ける。

考えれば考えるほど、旅ってしんどい。

ああそれでも、行きなと言われると気が進まないのに、こうして行くなと言われると途端に行きたくなるのはなぜだろう。今回は、私の旅の経験を振り返って書いてみる。あなたのこれまでの旅に思いを馳せながら読んでもらえたら感無量。

「どんなにきつくても、寂しくなっても
一度旅に出たならやめないことよ。」
アイルランドの小さな観光地にあるゲストハウスで働いていたときに出会った、世界中を旅したアイリッシュレディーは強い口調でそう話した。

日本含めいろんな世界を見てきた後に、彼女が家を買った場所は、彼女の地元であるダブリンから遠く離れた、ケアーという街だった。そこは今にもゴルフ場になるのではないかと心配なくらい広大で美しい公園が有名だった。(というかもうすでにゴルフ場だった。)きっと彼女は、自身の旅の根幹のようなものをケアーの中に見つけたのだろう。

ただ目的地に行って、写真を撮って、お土産を買って帰って
「楽しい」の一言で終わるような体験にどうしてもピンとくるものは無くて
日々の暮らしに戻ってからしばらくした時に、
ふっと脳裏をよぎるようなものが、私の思う旅の定義。

私も普段の暮らしの中で、遠く昔の旅を思い出すシーンに何度も出くわす。
湿った草の匂いをかぐと、ケララで毎朝6時に爆音で聞いた謎のお経に戦慄が蘇るし
真っ暗な夜の海は、さっぱり見栄えのしない夜のドーバー海峡を思い出す。
ヨーグルトのフタを開けると、今でもイスタンブールの朝の街の喧騒が聞こえてくる。

私の旅は、今でも暮らしにそっと見え隠れしていて
こうやって、日常の間に擬態する非日常を見つけていくのは楽しい。

今立っているこの場所と昔訪れたあの場所は、
飛行機がつなぐ別世界なんかじゃない。
手を伸ばして耳をすませば、あなたの旅はいつだって蘇る。
そして思い出すときにはすでに
その旅はあなたの暮らしにしっかりとしみこまれている。

何も今すぐにそのことに気づかなくたって、何ヶ月も、何年も経った後、
朝歯磨きをしながら、その日見た夢の中ででも、
いつもの帰り道を歩きながら聴く音楽の中でも、
ふと訪れた場所のことを見つけ出してくれたらそれでいい。
たんなる一つの観光コンテンツの提供ではなくて、
あなたのいつもの毎日をもっとあざやかにしたい。

ゲームの主人公が旅人で、舞台は旅先。だとすると、私はポケモンで言うならジムリーダーあたり。訪れる主人公たちの背中を押しながらも、私自身も成長を求めている。

暮らしを楽しむためにいい旅をする。
いい旅をするために、暮らしの感度を高めてゆく。
てんやわんやな毎日を、暮らしなんて呼んでいいかも怪しいけれど...
今はこの、半径500mの愛しい愛しい生活圏内でじっくり目を凝らし、旅で出会った感情を拾い集めては抱きしめている。

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