8/13 名前を知らない店に入る体験
アウトドア日和の連休。鹿島へ向かう車の行列は店の前まで伸びていて、駐車場の案内待ちの渋滞に痺れをきらす車中の子どもたちは、こちらを訝しげに指差してくる。といっても、歩く速さでないと認識できない小さい看板ロゴと、乗れもしないカヤックを外に出しているだけの店に恐る恐る足を踏み入れてくる人は、1日に1組いたらいい方だ。膨らました浮き輪を肩にかけてリヤカーにキャンプ道具を入れて歩く人たちは、この店の佇まいが目に入ると、頭にクエスチョンマークを浮かべているのが見える。
「かき入れ時は夏と祭りしかないな」と散々言われてきた季節がついに巡ってきたというのに、かき入れるべきお客さんをしっかり逃している、とつくづく思う。マリオの世界なら、いっぱい落ちてるキノコを一つも取らずに、デフォルト身一つ、無装備で走り続けるような感じ。
人目を止めるために、かき氷があるフリをして「氷」の登り旗でも出そうか。あたかも重要文化財っぽい石碑でも作ろうか。どちらにしろ、今のままでは近所のじいちゃんの喫煙所、もしくはばあちゃんの手押し車のパーキングだと思われるのにとどまっている。(ちなみに、どちらも立ち上げ時から想定していた景色ではある)
それに、自分でも何屋かわからない店をやってると、初めてやってくるお客さんになんて声をかけていいのかわからない。何屋か聞かれてもないのに、この場所の説明をするのはナンセンスだし、ウェルカムしてないって訳じゃないけど、いらっしゃいませ、というほど気合を入れた接客はしてない。探さず、探らず、コミュニケーションを自然に生み出すことにいつも苦戦している。
そうこうしていると、いつものように近所の年金暮らしーズがやってきてコーヒー片手に光熱費の話で盛り上がる。そのうち「今日は家康を見にゃいけん」と大河ドラマの時間に合わせて帰っていく。
そろそろ閉店かと店をしまおうとすると、少年二人が、しきりに冷蔵ショーケースを覗きながら店に入ってきた。一人は本棚にあった日本まちやど教会の「日常」を手にとっていて、もう一人はレコード棚の、Stingのライブ音源盤を見て「これは名盤だー!!」と声を上げた。中山うりが夏を歌っているiphoneの接続を変えて、AUXにつなぐ。元DJのちかさんから譲ってもらったうちのレコードプレイヤーは、ボタンを押すと針が自動でレコード盤に乗る。少年はレコードプレイヤーの動作一つ一つにも驚いているようすだ。
福岡の大学で芸術を専攻しているという彼らは大学3年生。コロナが落ち着いて、初めて旅行らしい旅行ができるタイミングでフェリーで愛媛を訪れたのだと、ホセ・ムヒカ大統領の本を読みたそうにしていた彼の邪魔をして話を聞いた。もう一人の少年は日焼けで足を真っ赤に焼いていて、ハーフ丈のズボンを履いてきたことに後悔していたようだったので、キンキンの保冷剤を差し出した。
少し日が傾いて、「今治の宿に泊まるのに電車で行くんだけど、本数が少ないからもう帰らなきゃ」と彼らを見送った後、少年は一度だけ振り返って、きっと店の看板を探した。そういや、店の名前を聞かれなかったので、教えもしなかった。彼らが福岡に帰った時、夏休みを振り返る時、もしくは学校を卒業して、東京やもっと広い世界で仕事をするようになった時、「名前は覚えてないんやけど、Stingのライブ音源のレコードが流れている店で、保冷剤を借りたなあ」と思い出の一部にはまがあったらそれはとても嬉しい。いやむしろ、その後の道中、もっともっと濃い出来事が起きて、全然忘れてもらってもかまわない。
GooglemapやSNSで事前に、入念に調べた店を訪れることがスタンダードになった昨今、名前も知らない店に足を踏み入れるなんて体験、できるだろうか。
平成の真っ只中にテレビを見て育った私はNHKの海外ホームコメディ「フルハウス」の世代だ。フルハウスでは、フラー一家を訪れる人は玄関ドアをノックしたら、中にいる人がいつでも「It's always open!」と答えて迎えるのがお約束だ。
特別なことがない限りは、ノック以外の方法でお客さんが現れることはないし、家の中にいる人が玄関まで出ていって迎え入れるようなこともない。
おてんばな幼馴染が転がり込んできたりとか、知らない人ん家の犬が乱入してきたりとか、パパが娘のボーイフレンドと出くわしてしまったりとか、いつでも誰に対しても"always open"だからこそフルハウスはいつもサプライズに満ちている。
マス向けのやり方なんて教わったことないし(いや、教えたよ!というツッコミがあれば、それはごめんなさい)今後も大衆社会とは程よい距離感を保ち続けると思う。こちらから扉を開けて出迎えるのではなく、扉を開けてくれる人に向き合ったらいい。