10/27 己の原価率を割っていけ
「わし、しばらく仕事や!これから忙しくなるでえ!コーヒー飲みにこれんわ!」
意気揚々とした村上さんが、店を出ていく姿に軽く頭を下げてから2週間。本当に、村上さんを最近見かけなくなった。元気にしているだろうか。
と思っていたら、漁港の端っこでピザ屋さんを作っていた。しかも、それを教えてくれたのは裏に住んでいるおばちゃん。
毎日コーヒー1杯で2時間はおしゃべりしていたが、ピザ屋を始めることは全く教えてくれなかった。たまたま軽トラで通りすがった村上さんを呼び止めて、「村上さん、ピザ屋さんするんですか?!」と聞くと、ケロッとした顔で「あら、わし言ってなかったかいな」と笑う。
「これ、わしが作ったピザ窯」「わしが作ったトイレ」「わしがお昼に行ってきた今治のピザ屋」、ピザとトイレとピザ、立て続けに画質荒めの写真をスマホで見せてくれる村上さんは、大阪で50年近く大工仕事を続け、十数年前に奥さんの実家である北条に引っ越してきた。「わしは村上や。あんたの名刺くれや。わしは持ってないけど」店でたまたま出くわした同業者のおいちゃんにそう切り出して会話が始まる様子に、私が村上さんと初めて出会った施工途中のことを思い出した。当時倉庫だった場所で作業していた私に声をかけてきた第一声も「わしは村上や。若い人ら集まって、何作りよるんやあんたら。」だったな。
そんな村上さんの作るピザ屋は、窯から手作りの本格派。料理が得意な奥さんが仕込んだピザ生地を、捏ねたりトッピングを選んで焼ける体験教室を同時にやりたいらしい。そんで空いた2階スペースを民泊にしたいとか、宿ってどうしたら作れるんだっていう段階のことを相談されてるのだけど、一つ言えるのは、へとへとだと言いながら現場の進捗を目を輝かせて話すこのじいさんは、ただの年金暮らしじゃなかったってこと。
店を開けていると、「私も将来こんなことがやりたくて」と打ち明けられることも多々ある。空いている家や田畑を活用したいとか、趣味が高じてとか、今の会社から独立したいとか、理由は様々。やりたい度合いも人それぞれ。宿をやりたい人も何人かいるし、すでに周辺には一棟貸しの宿を始めた人も何人もいる。
これは自分の宿の稼働を上げてから言えよって話だけど、シーズン時、北条は宿が足りていない。だから縦横にもっとベッド数を増やしていきたいんだけど、増やしたところで日常的に稼働させるには、お金と時間の両方がかかる。大きな宿泊施設を新たに建てるほどではないけど、「タバコ代稼ぎ」「扶養外れない程度のバイト」「老後の暇つぶし」みたいな感覚でいいから、みんな気軽な気持ちでそれぞれの価値観で宿を始めてみてほしい。関わってみてほしい。大体、自分で宿をやりたいとか店を作りたいなんていう人は、内装とかオペレーションとか料金設定とか相談してくる割にはちっとも話を聞かない。こうすると決めたものの、不安だから話を聞いて欲しい、みたいな時があるんだと思う。めっちゃわかる。
そもそもミクロな目線で見ると、一棟貸しの安い宿が増えたところで、いやもはや価格帯は関係なく、滞在中のコンシェルジュがいなければお客さんの動線を引くことはできないから、コンビニでスナック菓子やらお酒を買ったり、市内の大きな釣具屋で揃えた釣具で釣りするような人がどうしても出てくる。かといって、住んでいる我々も入るのを躊躇ってしまうような佇まいの商店やスナックがほとんどなのに、初めて訪れた人が入りやすいお店も足りていない。宿を増やしただけでは、旅や滞在に「北条」とか「はま」って固有名詞は浮かび上がってこない。何もお店の話だけじゃない。釣りならここ、泳ぐならここ、低山、ガチ登山、ちょっとした高台、ホタルが見えるとこ、花火ができるとこ、みかん収穫、魚や貝の捌き方レクチャー…その日の季節と天気と潮の満ち引き、絶妙な電車の本数、アクセスのもどかしさ、そして一番は、訪れた人の気分とタイミングと巡り合わせ的なもので無限にアテンドのパターンができてしまう。学生の頃からツアー企画や観光オーガナイズに関わってきたけど、こんなにアテンドのレパートリーが豊富な状況は初めてで、それは本当にこの土地の魅力だと思う。17時に閉まる駅の窓口や、基本無人の観光案内所、市内から派遣されてるタクシーの営業所、Googleマップのピンと実際の住所がずれてる近隣の宿の代わりに、地域のお客さんとみんなで観光案内所をやってる感じ。行政から業務委託受ける?とか冗談にしてるけど、ぜんぜんお金じゃない。お金には変えられない価値をどんどんひっつけていく。コーヒー1杯五百円、毎回同じカップに注がれる同じ味のコーヒーだけど、カウンター越しの相手と私の間にはプライスレスな関係性が日々上乗せされ、原価とか客単なんて言葉は溶けていき、原価率はぶち壊れるどころか初めからそんな概念無い世界だって思い出す。宿に関していうと、設備や人件費にお金をかけなくても、相手と自分、旅と地域との距離を縮めるポイントがいくつもあると思うし、逆に距離をはかることもできる。お金のことは、毎月末に結局ジタバタしてしまうんだから、できる限り原価を忘れて良いものを生んでいくことだけ考えていようか。まだまだ手探りの日々は続く。