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ドリンクホルダーに、遺灰

葬式までの時間、叔母が作ったゆかりのおむすびを齧っていた。誰かが開けた窓が、もう何日連続だろうか、今日も真夏日となることを知らせている。目線の高さに見慣れた海。1匹のトンボがゆく。
夏時間を思い出す。
原題は、「Moving On」。
昔見た映画に、また救われている。

人の死を「眠る」とか「旅立つ」とか「別れ」とか、色んな表現で捉えられるが、ばあちゃんは「長い散歩に出ている」ような気がしてならない。
大好きな犬と、はままで散歩に出かけたまま帰ってこないけど、どうせばあちゃんのことだから、目を瞑っても歩ける慣れ親しんだ場所をほっつき歩いて、そのうち帰ってくるんじゃないかと。

どんな別れ方をしたとて、どんな生き方だったとて、人が抱える悲しみの程度は、他と比べることができない。だから今ここでは、悲しみの深さとかその根底にあるものについては話さない。そもそも、虫眼鏡をかざしても望遠鏡をのぞいても悲しい世界で、自分の存在をどう表現するか、相手の表現をどう捉えるかがすべてで、悲しみの内訳そのものはどうでも良いと思っている自分がいる。

思えばPUBLIC HOUSE はまの構想段階(2019年~)から、何億回と自分の中でブレストを重ねてきたが、「ばあちゃんのこと」というコンテンツを度々書き出していた。「ばあちゃんのため」ではなく、「ばあちゃんのこと」。
ばあちゃんの「ために」良かれと思ってやる、ではなく、ばあちゃんの「ことを」思いたいからやるという、自分の勝手なエゴで「しずこずしを守る会」は発足した。

ばあちゃんは作ったお寿司をこれまで親戚じゅうに嬉しそうに配っていたけど、販売するのとは訳が違うらしく、店でお寿司を出したいと私がいうと「ばあちゃんは他人にご飯を作るのは嫌いよ!!」と最初は頑なに嫌がっていた。それでも、月に1度のお寿司作りを強行開催して、「他人に食べさせるもんじゃない!!」と渋るものの、みんな美味しく食べていたよと報告すると、「下手くそなりに、食べてくれたらまた好きで作るんよ」とぶっきらぼうに言ってそそくさと薬を飲んで布団に入った。好きだから作りたい、作ったものを誰かにあげたいって、ごく自然の感情だけど、これをばあちゃんに思い出してもらうのに、かなりの年月がかかってしまった。「思い出して欲しい」と思うこともまた、私の一方的なエゴだけれど。

元々は、人を集めたり、何かあったら泊めさせたりと、お世話が好きな人だった。「みんなが来るならご飯を用意したい」とか「犬や猫の面倒を見たい」とか、些細なことでも誰かのためになりたいという気持ちに対して、高齢で体力的にも無理だろうと私たちが賛成しなかったこともあり、さらにコロナ期では出かけることも、誰かが訪ねて来ることも減ると、どんどん毎日に退屈してしまっていた。
ばあちゃんにしかできないこと、むしろ「やかましい!ばあちゃんがやるんじゃああああ」と本人が意思を持ってやりたいことを任せたい。さらにもう一つ、おばあと孫、母と娘の深すぎるジェネレーションギャップに他者からの横やりが入ってくれた方が、多少変化が生まれるのではないかという目論みもあり、「ばあちゃんコンテンツ」を作ったんだと、今になって説明ができる。

商品制作も広報デザインも、ターゲットやペルソナを明確に定めるように口酸っぱく教わったけれど、本当の意味でペルソナにすべき存在は、ばあちゃんだったかもしれないと思う。
まず前提として、私は場所(はま)を開いてここを訪れるたくさんの人のおかげで、「社会にとって役に立っているか」とか「生産性と効率性に適っているか」といった功利かつ資本主義的な価値の物差しがバキバキに壊れて機能していない。
その上で、「みんながめいめいに自分の存在を証明している社会」では、「誰でも存在しているだけで価値があって、その場にいるだけでありがとう」である。
そんな舞台を用意してるから、ばあちゃんが自分で楽しいと思えることを見つけてもらい、ゆくゆくはそれが社会性を帯びるような流れに持っていきたい。
とはいえ、何を言ってももう手遅れ。
好き放題言われるだけで言い返すこともできず、逆に好き放題させてもらったのに大した感謝を伝えることもできなかったのが、棺の重さと同じだけ両手にのしかかっている。

ばあちゃんの遺骨の一部を海に散骨したいと葬儀場の人に伝えると
「海が好きだったんですか?」って想定外の質問が飛んできた。
ばあちゃんが生まれた時からそばにあって、少女となり母となりおばあとなり、犬と共に余生を過ごしたこの北条の海に、当然親しんできたと思っていたけれど。生まれたときから過ごした北条の海に還りたいのでは、という計らいも、特に遺言で示されたわけでもなく、全て私の思い込みなのだろうか。もしかしたら、一欠片も残さずじいちゃんと同じ墓に入れて欲しかったかもしれない。いや、実は山派だったかもしれない…。
そう考えると、千の風になろうが虹の橋を渡ろうが、いかなる宗教も、全ては生きている人の一方的で一元的で、おこがましいエゴだ。
しかし結局、人は想像の中でしか誰かを想えない。そばにいたら寂しくないかな、今声をかけると逆につらいだろうか、これを送ると喜ぶだろうか。相手がどう感じるかは、本当は相手にしかわからない。それは生きていても同じかも。

「ばあちゃんも適当やけん、あんたの好きなようにやるんよ!」
と言う割には、食材の選び方から盛り付けまで全行程において文句をつけるばあちゃんが数十年守ってきたお寿司の味つけは、料理上手のさっちゃんが教えてくれたやつらしい。そのさっちゃんは、姑のよこばあから教わったらしい。よこばあは、誰から受け継いだのだろうか。
伝えるか、受け継ぐか、もまた、あとに残されたものがどう考えるか次第。全部生きている人の勝手な願いであり、祈りであり、答えをもたない問いかけであり、問わず語りのひとりごとたち。

ばあちゃんは「うちのお寿司の味は後世に伝えてもらわんとね!」とも話していたことを後になって知った。
病院のリハビリ担当の中に私の中学の友達がいて、時々連絡を取っていたのだけど、ばあちゃんは彼女らにだけそう伝えていたらしい。
それなら作り方をちゃんと教えてから散歩に出かけてくれよ、と思うが、これもまた、ばあちゃんが生きていた時のささやかな願いかもしれないし、本人にとっては覚えるまでもない冗談かもしれない。

どんなふうに葬られたいかすら、今となっては聞くことはできないけど、ばあちゃんは、誰かを失うことを受け入れたり乗り越えようとせず、悲しみを悲しみのまま、いつでも引っ張り出せるように身の回りに置いていた。戦争に赴いて亡くなった兄弟、逃げた文鳥、盗まれたキャバリア、数年前若くして亡くなった姪の子。それぞれの思い出を昨日のことのように事細かに話し始めてはすぐに泣く。飼っていた犬の合同霊園に連れて行くと、ばあちゃんは大体1時間くらいはその場から動けず泣いている。幼稚園くらいの頃「ばあちゃんがもし死んだら、ひゃくおくごせんまんせんちょう年(?)泣く!!」と言って、逆にばあちゃんを泣かせてしまったことを覚えている。一百億五千万千兆年泣き続けたら流石に涙は枯れると思うけど、あなたがいない人生が始まって、本当に辛いのはこれからだ。ばあちゃんのように、悲しくなったらいつでもいつまでも泣いていいかな。

骨を拾い寺へ納め、「はい、今日からばあちゃんは仏様です!うやうやしくたてまつれ〜!」と言われても実感がわかない毎日で、ばあちゃんが使っていた謎に高級の保湿クリームをもうすぐ使い切ろうとしている。
しかし、私は仏としての活動がどれほど忙しいか想像もつかないし、ばあちゃん自身も、「今日は卵が安いね」とか「明日からガソリンが高いよ」とかの消費と生産のラインに組み込まれることもない。ただ、ばあちゃんは、想像よりも現実よりも、もっともっと深く私の意識の中に刻まれている。
お盆を過ぎて突然吹き始めた涼しい風も、ふと見上げたらちょうど真上で光った星も、青から赤へと色を重ねる夕暮れの空に浮かぶ雲も、全てばあちゃんかなあ、とわたしが思えば、それはばあちゃんなのだ。

ばあちゃんがまさに暮らしていた、このはまの場所で、「しずこを送る会」として、巻き寿司パーティーをするつもりでいる。有名人の「誰某を悼む会」より、部活の「3年生を送る会」みたいなのより、もっとカジュアルかつ諸行無常で、気軽に誰でも、犬も猫もこれるやつ。

巻き寿司パーティーをしたところで気持ちを入れ替えられるかわからない。けれど、少なくとも私にとっては言葉に表さないとどうにも前に進まなくて、こうして書き出している。やがて書くだけじゃ足りなくなった時に、人はまた歩き出す。

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