地雷除去の緊張感をゲームで表現 – 「피아(PIA)」開発チームインタビュー
「あなたは地雷を踏みました。どう対処しますか?」
2024年の東京ゲームショウ(TGS2024)で、最も注目を集めたインディーゲームの一つ「피아(PIA)」はこの質問をユーザーに投げかけていた。「爆発物処理班」と名乗るチームが、たった3週間で完成させたというこのゲームは、その独特な操作方式と歴史的なメッセージで来場者の目を惹いたのである。「地雷を踏んでしまった兵士は地雷を解体し、生き残れるのか」という緊迫した状況を描きながら、戦争の傷跡が現在まで続いているという重みのあるメッセージまで示している。
3週間という極めて短い期間で、なぜ「地雷除去」というテーマを選び、どのようにして独特なゲームを作り上げたのか。開発の裏側にある思いと苦労、そして彼らが伝えたかったメッセージについて、SKOOTAでは今回チーム「爆発物処理班」に韓国語でのインタビューを行いました。
インタビュイー:
爆発物処理班(ゲーム人材院5期)
キム・テックン:
チームリーダー(企画者)キム・テウック:|
企画、プログラミング担当チャン・ソウン:
アート総括担当(背景)パク・ウンヒ:
アート担当(オブジェクト)
制作でもっとも大事にしたこと「緊張感と没入感のあるゲームを作りたかった」
(ゲームの参考にしたと思われる映画『MINE』(2016))
――「地雷を除去する」という経験自体も特殊な上に、朝鮮戦争をテーマにしているところが印象的です。まずはこのゲームを作られた最初のインスピレーション、すなわち最初のアイデアについてお聞かせいただけますでしょうか。
キム・テックン:まず私たちは緊張感と没入感のあるゲームを作りたかったです。その中で最も重視したのは没入感でした。ゲームでどうすれば没入感を与えられるかを考えた時に、ゲーム内のキャラクターの状況とプレイヤーが経験する行動を一致させれば、より没入感を高められるのではないかと思いました。ゲーム内で地雷を解体する時の苦しさを、プレイ操作として表現しようと考えたのが、PIA피아というゲームの制作につながりました。
――ほかのゲームにおいても緊張感・没入感は大事だと思います。その中で「行動を一致させる」という方向性を選ばれたのが印象的ですね。なぜ「地雷除去」という経験をユーザーに体験していただきたいと思われたのでしょうか。
キム・テックン:ゲームのコンセプトを決める中で、チームメンバーの一人が家族の話をしてくれました。そのメンバーの祖父である故パク・ジョンソプ中士*が、1966年9月6日、15師団で朝鮮戦争時に使用された地雷を除去する作業中に殉職され、現在は顕忠院に安置されているのです。私たちが地雷ゲームを作ろうとした時、そのメンバーから『私がこのチームに参加したのは運命かもしれない』という話を聞きました。地雷ゲームを作ることで祖父のことを広めたいと言ったので、そういう方向性でコンセプトを決めることになりました。
*自衛隊の二曹に値する。
**国立ソウル顕忠院は、大韓民国ソウル特別市銅雀区にある国立墓地である。
――地雷ゲームというアイデアが先にあって、その後で開発メンバーの方のお話が重なったということですね。
キム・テックン:はい。地雷という素材は映画などでも緊張感をもたらす要素として活用されますよね。私たちも緊張感のあるゲームを作るために地雷という素材を使用して、より直接的に緊迫感を伝えられるのではないかと思いました。
――韓国では映画でもよく扱われる題材ですね。参考にされた作品などはございますか?
**キム・テックン:**はい。タイトルは全て覚えていないのですが、砂漠で地雷を踏んでしまって幻影を見るという内容の映画もありましたし、地雷以外にも止められない運転中での誘拐事件を扱った映画なども参考にしました。
――「止められない」という要素は非常に重要ですね。PIAでも体力が徐々に減少することでプレイヤーを焦らせる仕組みがありますが、実際にはそこまで急ぐ必要がないように思います。(笑)このゲームの本当の敵は、イノシシや敵軍ではなく、自分自身なのではないかと感じるほど、緊張感がうまく表現されていましたね。
キム・テックン:ありがとうございます。
終わらない戦争を取り扱うということ「現在進行形の危険」
(2015年度にあった、北朝鮮の地雷によって韓国の兵士が両足を失った事件。)
――先ほども言った通り、このゲームは朝鮮戦争をテーマにしていますね。実際の歴史を扱うというのは、かなりデリケートだと思うのですが、ゲーム制作において、歴史の取り扱いについてどんな難しさがありましたか?
キム・テックン:最初に「このゲームに登場する地雷は架空の地雷であり,実際の地雷は圧力を受けるとすぐに爆発します」という注意書きを入れたんですが、これも歴史的事実を扱うことを意識してのことでした。誤った情報や表現で誤解が生まれないようにしたかったんです。それに、朝鮮戦争の重みを感じつつも、ゲームとしての面白さを失わないバランスを取るのが難しかったですね。
――確かに、バランスをとることは大事ですね。ではアートのほうで難しいと思ったところがあればお聞きしたいです。
パク・ウンヒ:背景を作るときに朝鮮戦争を表せることって何があるだろうと考えた時に、鉄条網を入れようかなという意見もありました。でも制作期間が短すぎたんです。なので入れられる要素が少なくなってしまい、今更残念だなと思っています。地雷もリーダーのテックンさんから頂いた地雷のモデルをできるだけそっくりのものにしたいと思ってましたし、キャラ以外は表現できたところが少ない気がしてちょっと惜しい気持ちもあります。
チャン・ソウン:朝鮮戦争を背景にしているので、できるだけ厳粛とした雰囲気を出そうとしていました。なので環境設定にはすごく悩みましたし、当時使われていたような小道具もかなり調べましたね。例えば地雷を解除するときに現代のものは使えないので、当時っぽい木製の道具を作ったりしていました。
――主人公が地雷解除に使っていた道具もそういう工夫に含まれていたんですね。
チャン・ソウン:はい。アートのチーム全員がレファレンスを調べていたときに、現代の小道具は使わないようにしていて、わざと昔使ってそうなイメージを主に検索していました。チョコレートなんかも「当時だったらもっと素朴な感じだったのかな」という意見を交わしていた覚えがあります。
――戦争時代を再現するために工夫を重ねてきたわけですね。それがTGSでも評価されたポイントだと思うんですが、そうやって表現しようとした「戦争」と、実際にユーザーが体験した「戦争」との間に、何か違いを感じましたか?
キム・テックン:まず、私はこの戦争という言葉自体を口にするのが重いということを常に意識しています。私も兵役を終えましたけど、今この瞬間も国を守っている国軍将兵の方々のおかげで、私たちの日常の平和が保たれていると思うんです。だから常に感謝の気持ちを持っています。でも、韓国はまだ戦争が終わっていない国なんですよ。最近の国際情勢を見ても色々な問題が起きていて、平和の重要性が改めて浮き彫りになってきていると感じます。
キム・テックン:私たちのゲームがその戦争という現実の重みをすべてユーザー側に伝えるのは難しいと思います。でも、ユーザーの皆さんにはゲームとして楽しんでもらいながら、私たちが伝えたかったメッセージも感じ取ってほしかったんです。休戦後も地雷がたくさん残っていて、単なる戦いで終わらない、その痛みが今も続いているということ。それに、国内のユーザーには国軍への感謝の気持ちも考えてもらえたらと。実際、プレイしてくれた方から「意味のあるゲームだった」という言葉をもらえて、私たちの思いが少しは伝わったのかなと感じています。
――これに関してプログラマーのテウックさんはどう思われましたか?
キム・テウック:「まだ戦争は終わっていない」というところは私もこのゲームを通して伝えたかったポイントですね。それと、最近韓国では「軍人に対する認識があまりよくない」という話題もあるんですが、私たちの平和は国軍の努力で守られているということを、社会的なメッセージとして伝えたかったんです。
――韓国での軍人への認識という問題は、TGSで初めてゲームに触れた海外のユーザーにとっては、なかなか分かりにくい部分かもしれませんね。そういった背景も今回の取材で触れられてよかったと思います。
ゲーム人材院で結成された開発チーム 「企画発表を聞いた瞬間 ”これだ” 」
――先ほども触れたとおり、このゲームは3週間で作られたと聞きました。短い期間ではありますが、初期の企画と最終的に作られたゲームの中で何か違いはありましたでしょうか?
キム・テックン:まず、私たちは韓国コンテンツ振興院のゲーム人材院という教育機関で学んでいる学生のチームです。PIAの開発は、ゲーム人材院で3週間行われるプロジェクトでした。制限時間が3週間しかなかったため、追加するより削る要素の方が多くなりましたね。例えば、最初は今よりも地雷の解体過程をもっと複雑にしようと考えていて。軍用シャベルにベルトを結んでフックを作り、遠くのものを取ってくるとか、今ある道具を組み合わせて新しい道具を作るような要素も考えていたんです。
ほかにも入れたら面白そうなアイデアがいくつかあったんですが、スケジュール的に全部は無理でした。でも、そのアイデアは今追加開発を進めているところなので、これからの開発の良い材料になると思っています。
――あ、すみません。順番的にはまず「ゲーム人材院」について説明していただいた方が分かりやすいかもしれません。
キム・テックン:そうですね。ゲーム人材院は韓国コンテンツ振興院という文化体育観光部所属の教育機関なんです。企画・アート・プログラミングの三つの班があって、1年目は授業を受けて、残りの1年で卒業プロジェクトをやる、という感じです。PIAは1年生の時の学期ごとのミニプロジェクトで作ったゲームですね。今は2年生になって卒業プロジェクトに参加していて、PIAの追加作業は各自のプロジェクトの合間を見てやっています。
――教育機関で今のメンバーが揃ったわけですね。どういう都合でこの4人が集まったのかもお聞きしたいです。
キム・テックン:先ほども話したように、毎学期ごとにプロジェクトを進めるんです。私たちは3クォーターの時だったんですが、この時は少し特殊で、プログラミング班なしで企画班とアート班だけが参加する形でした。企画者が企画案を持ち込んで、アート班の人たちが気に入った企画を選ぶ、そんな流れでした。
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