無自覚の自分の核(食事×健康)に引き寄せられて進んだ運命
こんにちは。栄養学者で栄養疫学が専門の“こばやん”こと児林聡美(こばやし さとみ)です。「食事を通じた社会の健康づくりへ貢献する」ことを目標に、起業家として働き、正しい食情報の普及とそれらを正しく活用してもらうためのサポートをしています。
アカデミアを離れてフリーで活動するようになって4年半(起業してからは1年)たったところです。その前は、東京大学の特任助教として、栄養疫学の研究者をしていました。どんなものを食べている人が健康を保ちやすいか、病気になりやすいか、それをどう調べるか、などを研究していました。筆頭著者として執筆した論文は9報ありますし、それなりに業績もある研究者だったんですよ。
でも、ずっと研究者をやっていたわけではありません。さらにその前は、食育に携わりたいと農林水産省に入省して、霞が関で働く国家公務員でした。世の中のイメージ的には安定していて立派と思われているであろう国家公務員という職業をあっという間に手放し、2回目の大学院進学で栄養疫学を学んで東大教員となり、今はそれも手放して起業家として活動している、ちょっと変わった経歴の持ち主です。
このnoteでは、なぜ私が「食事を通じた社会の健康づくりへ貢献する」ことを目標に模索し続けるのか、そしてこれまで何をし、これから何をやりたいのかを綴っていきます。
●好きなことは料理を作ること、食べること!(幼少期・小学校時代)
私は1980年、山口県下関市に生まれました。父親は会社員、母親は専業主婦のごく普通の家庭で、二人姉弟の長女として育ちました。
料理嫌いで出来合いの料理もしっかり活用という母でしたが、毎日の食事は手作りのものも多く、父も早めに帰宅して家族でそろって夕食を食べることが当たり前でした。今振り返ると、日々の楽しい食事の時間はよい食育の時間となっていました。食べることは楽しくて、家族で食事を囲む時間は心の栄養も得る時間になるということを、体験から知ったように思います。この毎日は、大学入学時に一人暮らしを始めるまでずっと続きます。
そんな私は小さい頃から、食べ物に対する興味と関心が人一倍あったようです。たとえば幼稚園の頃だったか、自由の女神の銅像を見たとき、父親から「手に持っているのは何かわかる?」と聞かれて、即座に「ソフトクリームとお弁当!」と答えたとか。またあるときは、算数の計算を問題に出され、「2+3は?」ではわからないのに、「りんごを2つもっていました。そのあと3つもらいました。全部でいくつになったでしょう?」と聞かれると正しく答えられるといった具合です。
小学校高学年になって新しく学ぶようになった家庭科は大好きでした。特に楽しみだったのは調理実習。料理を作る楽しさを知ると、家でお菓子作りをすることも増えてきました。自分が食べておいしいという満足感もありましたが、家族がおいしいと言ってくれることもうれしいことでした。
こんなふうに、食に強い関心があったのは生まれつきだったのかなと思います。将来の夢はお菓子屋さん、と小学校卒業時の文集には書いていました。
●ストレス解消になってしまった食(中学・高校時代)
中学と高校時代は、吹奏楽部に入り、朝早くから夜遅くまで、休日もなく、部活ばかりに打ち込んでいました。中高とも部長になったことや、高校は進学校で勉強についていくのがやっとだったことがあり、ストレスを感じることが増えました。
そんな日々の中で、特に夕食後にお菓子を食べることは唯一の楽しみだったんですよね。その量が、日増しに増えていき、だんだんと適量で止められなくなりました。中学入学頃はやせ気味だった体形は次第に太っていき、高校卒業頃には肥満体形にずいぶんと近づいていました。楽しいはずの食事が、単なるストレス解消の手段になってしまっていたんです。
成績もあまりよくない、そして自分の容姿も変わってしまった。そういったことから、この頃は何をするにも自信を持てずにいたように思います。食事を大切に扱わないと体も心も前向きになれないことを、身をもって体験しました。
●無意識の中にあった「健康」への思い
高校時代は周囲のほぼ全員が四年制大学を目指しており、私も大学には行きたいと思っていました。化学が好きだったことで、理系を選んだものの、どんな学部で何を学びたいか、明確な目標は決めきれずにいました。
文理選択の参考にするために、高校1年生のときに進路適性診断テストを全員で受けた思い出があります。文系・理系度のみではなく、自分に適性のある学部・学科も判定してくれるような心理テストみたいなものでした。その結果、私の適性のあった学部は医学・歯学、薬学などの医療系。当時は「医者や薬剤師になるつもりはないし…」とその結果をほとんど参考にしませんでした。そして、その結果が出たことも、その後10年くらいは忘れていました。けれども、自分の興味の根幹に、自分でも気づいていない「健康」というものがこの頃すでに存在していたのかなと、今になって思います。
●絶対に後悔しない生き方を!のきっかけ
高校1年時にもうひとつ、今後の生き方を考えさせられる出来事がありました。教育実習に来られた大学生(吹奏楽部のOBの先輩でもあった人)がホームルームの時間に大学の様子などを話してくれたんです。そのとき最後に、「人生いつ死んでもいいように生きてくださいね」と言われたんですよね。
なぜその先輩は若くしてそんなことを言えたのか、これは今でも謎のままです。今になっては、かなり人生の本質を突く発言だったなと思います。大人になった今、この考え方は常に心の隅に置いてあります。何か迷うときには、この考え方を使って進む方向を判断することも多いです。
とはいえ、当時の私は目の前の学業と部活に必死で、とりあえず流れに乗って受け身で進んでいた日々でした。まだ自分の進むべき道はよく見えずにいました。
●そうだ、九大農学部へ行こう!
大学進学のための受験勉強を本格化した高校3年生になって、どの大学のどの学部を受験するのか明確に決めなければ受験対策もできないことが分かりました。色々調べるうちに、農学部で、化学の知識を社会で活用する方法を学ぶのはいいかもしれない、という気が漠然としてきたんです。責任感の強さからなのか、学んだことを社会へ貢献したいという思いが強くあり、当時は環境問題に関心を持っていました。
農学部で扱っているのは、農芸化学などの化学に関わる分野だけではなく、農業を効率化するための作物の育て方を扱う農学や、農業機械学、そして森林学、水産学、畜産学…と多岐にわたります。農業経済学のような文系の分野もあります。しかも、九州大学の農学部は、入学時には学科を決める必要がなく、大学2年時の専門に分かれるときに、学科(コース)を選択すればよいとのこと。まだ自分の進む道がよく見えていなかった私には、幅広く学べそうということ、受験時に学科を決めなくてよいということはとても魅力的でした。
こうして、受験大学と学部は決まったものの、部活ばかりの日々で出遅れていた受験勉強はまったく進まず…。1年浪人してようやく希望どおり九大農学部に入学できました。浪人は人生初の挫折でしたが、この1年間のおかげで、受験で合格するにはどのように勉強したらよいのかといったコツがわかってきました。その後の人生の岐路となるときには常に「受験」という選択をとることになるのですが、そこに挑戦しようという意欲が湧いてくるのは、うまく勉強しさえすれば合格は得られる、という経験からの確信があるのかもしれません。
そしていよいよ大学へ進み、食事と健康の世界へ少しずつ近づくことになるのです。
次回へ続きます。
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