35歳、ひとり、ニュー北京で呑む
・平日の店
人間、誰でも自分なりのバイアス、というかの思い込みがある。
「こうあってほしい」というプラシーボ的な感覚。
刺身には醤油とわさびでコーヒーはブラック、夏といえば海を思い浮かべるし、六角といわれれば精児だ。
わが社の倉庫から徒歩3分のところに「ニュー北京」というド渋い中華料理屋がある。
いわゆる町中華と呼ばれるようなお店。
だが軒先テントには北京料理、と記載があるので町北京か。
ともあれ週に一度、倉庫に顔を出したときは決まってこの店で昼食をとる。
周囲の会社の人や地元の人、近くには大きな商店街もありそこから流れてくる人もしばしば。
妙齢の男性2名で調理場を切り盛りし、女性がテキパキと後片付けからお会計まで続々とやってくる腹ペコの亡者たちを捌ききっている。
定食は¥780からと、この上がりの時代になんともうれしい価格。
なので待ちが出ることもしばしば。
そんな状況なのでいつもメニューを見る暇もなく中華ランチ定食を頼み、パッと食べてパッと出ていく。
しかし¥780で酢豚・卵焼き・唐揚げという価格は、バース・掛布・岡田を彷彿させる豪華な面子。バックスクリーン3連発だ。
例えが昭和過ぎない?
ともあれ、いつかゆっくり飲みたいなぁと思いながらも自宅からは結構距離があり、なかなか実現できないでいる。
心の中ではいつまでも「ニュー北京=平日の店」という感覚に囚われているのだ。
・審判の日
前回記事と時系列は異なるが健康診断の日がついに来た。
社内の皆で車に乗りあい近くの会場へ向かう。
わが社は特殊なシステムが採用されている。
健康診断の日は本来休日である土曜日と決められており、午後が休みとなるお得な日。なんか騙されてない?
とりあえず会場に到着。
2日間にわたる断酒の成果が試される日である。
視力は変わらず両目とも1.5、聴力検査も心配なし、体重と腹回りは1kg&1.5cm増という許容範囲。許容範囲?
心音、健診、血圧すべて正常範囲内。
あとは血液検査をはじめとする体液検査とレントゲンの結果を祈るばかりである。
全てから解放された13時。空腹と喉の渇きは既に限界に達している。
健康診断後の一食目。これは重要な一手である。
ここを仕損じれば丸一日後悔することになるだろう。
無難にチェーン店にするか、もしくは初見の店に飛び込んでみるか…
待てよ?ここからわが社の倉庫までは徒歩で15分ほど。
そこから徒歩3分でニュー北京だ!休日ニュー北京は今日しかない!
不意に訪れた幸運を逃すわけにはいかない。
車には乗らず、ひとり歩き出した。
倉庫まで車で送ってもらえばよかったのに。
・暖簾と座敷
9月といえども大阪の気温をなめてはいけない。
コンクリートジャングル故にヒートアイランド現象が巻き起こりとんでもない湿度と気温である。大阪にもっと緑を。more 緑!
普段ならばコンビニやそこらで缶チューハイなどを調達し、呑みながら向かうところ。
しかし断酒明け、さらに初の休日ニュー北京だ。そんな無礼は許されない。
イヤホンからながれてくるラジオで何とか気を紛らせながら到着。
見よこの圧倒的外観。地元の店の王者である。
くたびれたテントに油のついた床や扉。
しかし暖簾だけは少し前に新しくなった。
たくさんの人がくぐる暖簾だ。
そこは綺麗にしておきたい、という心持ちと人気店であることがよくわかる。
その暖簾をくぐり、いつもの様にカウンターに腰掛けようとしたところ「空いてるから座敷座ってええよ」とお声がけいただいた。
もちろん初座敷である。
しかも一番奥の店内を見渡せる特等席だ。
油っぽい店内だがテーブルは恐ろしくきれいに仕上げられている。
入り口を望むように席に着いた。
年季の入ったテーブルに標準装備されている灰皿がまた良い。
店内はカウンターで定食を食べながら店主と歓談している人。
並びの座敷には瓶ビールの空瓶を2本並べ、テーブルに所狭しと料理を並べ呑んでいるカップル。
休日の昼下がり、ゆったりしたなんとも心地よい空気だ。
店内から眺める暖簾がまた良い。
・豚の天ぷらと樽ハイ倶楽部
しみじみと店内を眺めたあとメニューに目を落とす。
改めてみると品数が多い。
各種定食、炒め物から揚げ物まである一品、スープ類からご飯もの。
定番のラーメン、やきめし(※炒飯ではない)、ギョーザやエビチリなんでも揃う。
ちなみに北京料理の代表格っぽい北京ダックは無い。
一食目ということもあり中華でも比較的あっさりでソフトなワンタンメンあたりで様子を伺おうか。
いや、腹が減っているし喉も限界なのだ。こういう時こそガッツリいこう!
と決心がついたところにちょうど良く、いつもの女性がオーダーを取りに来てくれた。
豚の天ぷらハーフ(¥400)とハイボール(¥400)をチョイス。
薄青い平皿、樽ハイ倶楽部のグラス。最高の面構えだ。
少し見惚れてからいただきます。
ガッツリとはいったものの、やはりいきなり油分を摂取するのは心配。
ということで付け合わせのキャベツから箸をつける。
マヨネーズは業務用で少々油っけが多く感じるもの。
しかしこれからもっと脂っこいものを食べるんだ、何の心配もない。
キャベツをサッと掻き込み天ぷらへ。
デカい豚肉の塊が3つ。これでハーフ。
通常サイズだと35歳の胃袋には致死量であることは間違いない。
衣はサックリと上がっており、豚肉は程よく弾力がありしっかりとした下味。
噛めば噛むほど系の良い味わい。
そしてハイボール。
テーブルと同化するほどの茶色さ。そして微炭酸。
昨今のハイボールは強炭酸でシュワシュワを通り越しバチバチという激しさであるが、ニュー北京は違う。
濃い目のウイスキーを炭酸水で割った最もオーソドックスなタイプ。
これぞストロングスタイル。
それをザブザブと喉に流し込む。
快感。
この二文字に尽きる。
食べる、そして飲む。
これを繰り返す至福の時間。
・自分の北京
豚の天ぷらを平らげハイボールを飲み干した。
2日ぶりの酒と油物が入り、前日夜からの断食によって眠っている胃腸に喝が入った。
となると次の敵は空腹だ。
もう一杯飲みたいところだが今は炭水化物が優先。
やはりやきめしか。でもラーメンもいい。
エビチリとライスってのもあり。天津飯も食べたいな。
この半年間で一番悩んだかもしれない。
オムライス(¥650)
玉ねぎと共にパラっと炒められたケチャップライスに玉子焼きが乗った中華オムライスだ。
しっかりと炒めが入ったケチャップライスはコクがあり甘味が引き立てられている。
そこに少しの塩気とほんのり中華だしの味がする玉子焼き。
文句なしの美味しさ。
しかしなぜ北京でオムライスなのか。
その答えはここの店名にある。
北京料理と謳ってはいるが北京料理の代表である様なメニューは無い。
いわゆる下町の中華料理屋の代表だ。
しかしその古典にある北京料理という概念を覆した北京料理店、つまり「ニュー北京」
店主が北京料理といえば全て北京料理なのだ。
固定観念に縛られず自由に作りたいものを作り、食べたいものを食べる。
このオムライスに込められているのはそういう思いなのではないだろうか。
違うか。
・また次は定食で
満腹オブザイヤー。食べ過ぎた。
もう一杯呑もう、と思っていたがこれはもう入らない。
しかもひとり、またひとりとお会計が済んで最後の客になってしまった。
背面の狭いスペースでは店主が賄いを食べ始めた。
ここらで失礼しよう。
お会計はしめて¥1,450。雰囲気も含めて考えたら安すぎない?
ほろ酔い気分で店を後にした。
今度はまた平日に定食を食べにこよう。
そう思い最後に振り返った暖簾には、大きな文字で「中華料理」と書いてあった。