家族から『キモい』と言われて育った私の末路。
家族から『キモい』と言われて育った私の話をしよう。
こんな冒頭だが私の両親は穏やかな性格で、怒られた記憶はほとんどない。
歳の近い兄と妹は、真面目で人当たりも良い。
兄は幼い頃から同級生に比べて背が群を抜いて高かった。
家族の中での立ち位置は『デカ』だった。
妹は小学生頃から過食がひどく、誰に似たのか太り始めた。
家族の中での立ち位置は『デブ』だった。
そんな2人とは違い、同級生の中でも平均的な身長でどちらかというと痩せ型だった私は、なぜか『キモ』の立ち位置だった。
『キモ』に至った明確な理由は、多分誰もわからない。
ただ、兄と妹はそれぞれ立ち位置があるのに、私だけないのはどうだろうという余計な流れからかもしれない。知らないけど。
文章だけで伝えるのは大変難しいが、我が家はこれでも仲が良い家族だ。
ここまでを客観的に見ると、なんて酷い家庭だ、と思われるかもしれない。
あくまでも立ち位置であって、決して家族からニックネームとして呼ばれていたわけではない。
兄妹各々を表現する単語として与えられた、とでもいおうか…。
今の私にはこの我が家での立ち位置を世間に上手く説明する語彙力がない。
でも間違いなく、我が家ではこれが普通だった。
そして、大人になって自立して気づく。
自分がとてつもなく自己肯定感が低いことに。
就活の時に「長所は何ですか?」と聞かれることが1番悩ましかった。
異性に好意を向けられると、いくら私がもともと好意を寄せていた人だとしても少し気持ち悪く感じた。
大学生になって垢抜けていく友達が眩しくて、でも「私なんか…」と諦めた。
『キモ』の立ち位置でやってきた私は、いつの間にかその立ち位置を受け入れて、自分の良いところなんて全くわからないまま歳を重ねていた。
先ほども言ったが、私は親に怒られることがほとんどなかった。
そして、私は親に褒められることもほとんどなかったのだ。
だから、余計自分の良さがわからないまま大人になってしまった。
勉強も運動も何でもできて、加えて『デカ』の立ち位置は健在で高身長かつ容姿端麗だったため親にとって自慢の息子だった兄。
いつの間にか痩せて『デブ』は卒業して、しっかり者で明るくて友達が多く、真面目で少し神経質だから親がよく目をかけていた末っ子の妹。
対して、人見知りが激しく人間関係の構築が下手で、飽き性で何事も長続きしない『キモ』の私。
同じ血が通っているはずなのに、兄や妹と違いすぎることがコンプレックスだった。
そうか、私は『キモ』だからしょうがないのか。
なんて納得して、これから先の長い人生に絶望した。
最近よく思う。
私は息を吐くように自虐している。
「ほら、私って目が細いから、寝てるか起きてるかわかんないんだよね!」
「寄せる胸すら無いわ!」
「私の顔のレベルで言うことじゃないんだけど…」
今まで意識していなかったけれど、最近友達に「なんでそんなに自虐するの?」と不思議そうな顔をされた。
その友達は綺麗な顔をしていて人当たりが良くて、ちゃんと自分の良い所を的確にわかっている人だった。
そんな友達を見ていると「あぁ、この人は家族に愛されて育ったんだろうな」と、考えるようになった。
訳もわからず『キモ』の立ち位置にいた私とは大違いだ。
どこから間違っていたんだろう。
私はどうすれば良かったのだろう。
もっと自分に自信を持てていたら、「死にたい」「消えたい」なんて思う毎日を知らずに過ごせただろうか。
子供を持つ全ての親に心から言いたい。
どうか、子供の良いところをたくさん見つけて言葉にしてあげてください。
親に言われたことって、良くも悪くも結構心に残ります。
「あなたの良いところはね、」ってたくさん見つけてあげてください。
私は親を恨んだことはありません。
一生懸命働いて、四年制大学まで連れていってくれました。
私のわがままに付き合って、編入試験も受けさせてくれました。
ただ、もっと褒めてほしかった。
もっと私の良いところを教えてほしかった。
『キモ』なんて言葉を簡単に発さないでほしかった。
自分の良いところなんて、精神的に追い詰められた今ではもう自分で探せないんです。
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