【心の詩歌】【公開記事】倫理観は本当に人によって違うなあ
先日、三重県に行きました。
こんな写真が撮れました。
その際、倫理観は人によって大きく異なるのだなあと実感する体験がありました。
その日、同じ場所に行こうとしている観光客はほとんどおらず、バスには私と私の連れ、それからかなり年配の男性が一人乗っていました。
三人はバスを降りました。そのバス停は一日数回しかバスが来ません。帰りのバスは三時間後でした。それを逃すとさらに二時間後です。
私と連れは、電車の関係で三時間後のバスに乗る必要がありました。
バスにいた男性が私たちに話しかけてきました。思ったより人がおらず心細いので、私たちのルートに同道させてもらえないかというのです。
山道だが大丈夫か念を押したうえで了承し、私たちは絶景を求めて峠を登りました。
山道は大変でしたが順調に登りきり、しかし私たちは、舗装された道路に出てから誰が悪いでもなく道を間違えました。
どうやら予定のバスには間に合いません。これはバス停を目印にタクシーを呼ぶしかないと考え始めました。
すると、男性がどこかへ電話しています。
そしてメモを取るようにと言いました。
男性が電話していたのは地元の観光公社で、メモを取るよう言ったのは観光公社に聞いたバス会社の番号でした。
なんと彼は、バス会社に電話して路線バスに私たちを待ってもらおうと言うのです。
私は驚き、そんなことはしたくないと伝えて思いとどまらせました。
男性が純然たる善意で行おうとしているのは明らかでした。彼自身ははその日は泊まりなので、次のバスでも問題ないはずなのです。
地元の路線バスを遅らせるというのは私からするとありえない選択です。そもそも選択肢として意識しません。
しかし、彼は10分くらいなら乗客の少ないバスを遅らせてもかまわないと考えました。意味のわかる理屈ではあるのですが。
観光は遊びです。遊びで地元の人の足を遅らせるというのは私にとっては選択肢にないものですが、考え方は人によるのだなあと思う出来事でした。
(この記事は、マガジン「心の詩歌」の月初無料記事です。「心の詩歌」は、詩や短歌の紹介、社会問題、哲学などを題材としています。)
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