『ぞうきん』 短編小説
恋をした。今更。
他校と合併など無く、
小学校からほとんど同じ顔ぶれが、
同じ中学校へ通う。
橘あかりもその1人だ。
今までも、同じクラスになったことも
あったし、何で中学3年の2学期の
このタイミングで好きになってしまったのか、
自分でもわからない。
けれど、その想いは
日に日に強さを増していった。
今更どうしたらいいんだろう。
橘と仲のいい瑞希にも相談する
ようになった。
「あかりのタイプは…
クールで素っ気ないけど何気なく
優しかったり、実は思いやりがあったり…
花沢類みたいな!F4の!」
「エフフォ…?花沢…?何なんそれ」
おれは少女漫画を熟読した。
それからおれは少し花沢類っぽい
振る舞いを心掛けてみた。
好意があるにも関わらず、素っ気ない態度を
とるということが特に難題だった。
これが本当に正しいのか瑞希には
度々確認した。
それでも、瑞稀の助言が功を奏してか、
橘と以前より話す機会が増え、
移動教室へ一緒に行ったり、
間違いなく距離が縮んでいると
感じていた。
昼休みに、男子の一部で「ぞうきん鬼」
という鬼ごっこが流行った。
ルールは一般的な鬼ごっこと同じだが、
手でタッチするのではなく、
ぞうきんを投げて当てたら鬼が変わる、
というただそれだけのことだった。
廊下を思い切りダッシュして、
先生がいたら、鬼も逃げる側も歩く。
先生がいなくなったらまたダッシュをする。
そのメリハリが何とも言えないスリル
でもあった。
ぞうきん鬼に参加している時点で
花沢類とはほど遠いが、
人間そう簡単には変われない。
これは自分の中では良しとしていた。
そんなある日、事件は起きた。
おれはぞうきんを握っている。
そして、廊下を曲がるところで
獲物を捕えようとしていた。
勢いよく曲がった瞬間、
ぞうきんを投げたと同時に
そこには橘あかりの姿があった。
体がぶつかったわけでもない。
ぞうきんを当ててしまったわけでもない。
バランスを崩して転んだわけでもない。
ただ何を思ったか、おれは、
〝かめはめ波〟のポーズをとっていた。
ぞうきんは廊下に落ちている。
走り去っていく獲物の姿を見る限り
鬼はおれのままだ。
走った後とは違う心臓の鼓動が
身体中を駆け巡った。
橘は友達と笑顔で話しながら
おれの背後を通り過ぎていった。
これは…花沢類からかなり
掛け離れている…
ダサい、ダサ過ぎるぞおれ…。
異なるマンガを安易に混同して
しまった自分にひどく落胆した。
卒業まであと2ヶ月。
おれはそれなりのサッカーの能力と
それなりの学力で、希望していた高校の
推薦の内定が決まっていた。
橘は県内でも偏差値の高い、
公立高校を目指している。
おれは高校での部活に向けて
体力をつけるため、
毎晩ランニングをしていた。
もうタイミングも何もわからない状況
だったが、後悔はしたくない。
ランニングの途中に電話ボックスに入り、
橘あかりの自宅へ電話をした。
ゆっくりと電話ボックスから出る頃には、
頭の中は真っ白で、ただ、それを誤魔化す
ように、さっきよりも走るペースを早めた。
高校に入ってからはそれなりに
好きな人ができ、付き合ったりもした。
橘あかりが、ある先輩と付き合ったという
話なんかも耳には届いた。
何度か橘を含めた数人で、
遊んだこともあったし、
駅からの帰り道、たまたま会って
2人で歩いたこともあった。
ただそれきり会うことも無かったし
連絡をとることも無かった。
あれから15年近く経つ。
Jリーガーなんていう夢は、
とうの昔にどこかへ置いてきた。
普通の仕事に普通の生活。
三十路を過ぎたが、おれは未だに
結婚していない。
タイミングとかそういう話だ。
ある日、橘あかりが亡くなっていたことを
友人から聞いた。
もう3年ほど前のことで、
癌だったらしい。
何年も会っていないし
声すら聞いていないのに、
それを今知らされても、
全く理解できない自分がいた。
車で信号待ちをしていると、
目の前の横断歩道を男の子と女の子が
少し恥ずかしそうに並んで渡っている。
学校指定のカバンを背負っているので
中学生だろう。
全く理解できていないけど、
もっと早くに知っていれば、
もし近くにいたりしてたら、
そんな病気なんかおれが、
消し去ってあげたのに。
…かめはめ波で。
後ろの車がクラクションを鳴らした。