「正常性バイアス」に対する「リスクマネジメント」の大切さ~厚労省の送別会問題から考えたこと~
■「アホやなぁ…」と感じた深夜の送別会
僕は道徳家じゃないから、「李下に冠を正さず」なんて言葉を堂々とは口にできないし、そうするつもりもない。
とはいえ、仕事の関係上、ちょっとは人前に顔をさらすようになったので、「立ち小便ができなくなる」といって国民栄誉賞を辞退した世界の盗塁王・福本豊さんの気持ちが今は少しだけ理解できる。
そして、厚生労働省老健局の職員が20人を超える大人数で、しかも、一部の参加者は深夜まで送別会をやった問題。
もちろん、叩かれるのは仕方がないし、擁護するつもりもない。それでも、「会って飲みたい」気持ちはあるし、要請の範囲内ではそうしているので、頭ごなしに「ひどい奴ら」と断罪する気にもなれない。
何というか、「アホやなぁ…」という関西弁がしっくりくる感じだろうか。
■「アホ」の原因①「正常性バイアス」
何が「アホ」なのかというと、曲がりなりにも厚生労働省に勤務している方々が「正常性バイアス」の存在に気づいていない点。これが一番はじめに感じるところ。
「正常性バイアス」とは心理学用語で、簡単にいうと、危険や不測の事態に遭遇したとき、「自分だけは大丈夫」という方向に認識が傾いてしまう心のはたらきのことを指している。
「自分だけはコロナに感染しない」「自分だけは遅くまで大人数で送別会をやっても見つからない」、これは明らかに「正常性バイアス」によるもの。
■「アホ」の原因②「リスクマネジメント」の不在
だからこそ、ふだんから「リスクマネジメント」の意識を持つことがとても大切なんじゃないかと考える。たとえば、
「送別会を開催するメリット」・・・(A)
「それが見つかった場合のデメリット」・・・(B)
「送別会を開催しない場合のデメリット」・・・(C)
(A)-(B)>-(C)ならば開催する
(A)-(B)<-(C)ならば開催しない
もっとも、これらのメリデメの認識さえも、「正常性バイアス」が支配してまともに機能しないとなると切ないのだが、それでもまったく何も考えないよりははるかにマシだろう。
にもかかわらず、今回の送別会開催に関しては、おそらく関係者の誰もが、「リスクマネジメント」の発想を持っていなかったように思われる。そしてそれが2番目に感じる「アホやなぁ…」の理由ともなっている。
■ 本件が「アホ」である本質的な理由
くり返しにはなるが、送別会を開催したこと自体が「アホ」なのではなく、中央省庁に勤務する、いわば、この国の「エリート」と呼ばれる人たちに、「正常性バイアス」や「リスクマネジメント」への認識が欠けている点が、ただただ「アホやなぁ…」と感じる理由なのである。
日本人全体の知的レベルが低下しているかどうかまではわからないけれど、日本がまだ「先進国」だった時代の官僚はもっと上手くやっていただろう。
(「ノーパンしゃぶしゃぶ」あたりからは怪しいけれど。)
コロナ禍のような未曽有の事態と対峙するには、理性的に粘り強く対処する以外に方法はないように考えるのだが、肝心のおひざ元近くにいる人たちに理性的な思考が欠如している。これこそが、今回の一件が示した、この国の現在が抱える不幸の形に他ならない。
■ 本件から得るべき教訓
そんなものはないかもしれないけれど、仮にあるとすれば、自分のなかの「正常性バイアス」の存在を意識すること。そして、常に冷静に考えながら「リスクマネジメント」を徹底すること。これ以外にはないだろう。
組織マネジメントにおける判断や部下の評価などにも「正常性バイアス」は常につきまとう。文字通り「他山の石」として本件を考えることによって、理性を失った「同じ穴のムジナ」になることだけは避けたい。
なんてことを考えつつ、飲んだ帰りにはかなりの確率で立ち小便したくなる自分のことを思い出し、トイレにはこまめに行こうと反省している。無論、これも「正常性バイアス」に対する「リスクマネジメント」の一環である。
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