明日
こういう書き散らしを最近は紙の日記につけていたけれど、言葉にしてまとめておきたいことが増えてきたので、久しぶりに書いてみる。
あまりまとまりがないかも、自分用ぐらいのかんじ
*
実家に越してきて、最悪親がなんとかしてくれるみたいな、あまり良くない保証が心の底に芽生えた。(世間的には脛をかじるとも言うやつ)
一人暮らしをやめて実家に帰ったことで、衣食住に不安がなくなった。本当にままならなくなっても死ななくても良いというのは、言葉に出来ないくらい大きなアドバンテージだと改めて実感している。
家計のすべてを自分でまわさなくても、例えば半自動的に夕食が出てきたり、それらに使われた食器やキッチン用品は、ほとんどがいつの間にか洗ってあったりする。
+++
脱線。これまでの人生の話。
時系列は遡るけれど、わたしは大学生になってはじめて「機能不全家族」という言葉と出会う。そしてその特徴が概ね我が家に当てはまることに気づき、付随する学びの中で、一般的に理想とされるような家族の形と我が家が大きくかけ離れていることに気付かされてしまう。
自分の中で当たり前であったものが覚束無くなっていく感覚と同時に、腑に落ちる感覚もあって、その分野について本を読んだり調べたりした。知識欲を満たしながら自分を傷つけていった。
いわゆる「みんなの家」とは違うこと、薄々気づいていたのを明言して気付かされただけの話ではあるけれど、結構大きなショックだったと思う。
物心ついた時には既に両親の仲は悪かったので、私と姉達は常に両親の顔色(といっても父はほぼ仕事でいなかったので、主に母親の顔色)を伺いながら生きていたと思う。
父親がどこで何をしているかなんか知らなかったけど、クリスマスの日に母親が泣いていて、父親は気まずそうにしていて、姉達も居心地が悪そうにしていたのを覚えている。家計が苦しくて夜も働きに出ていたのだと今はわかるけれど、そうとは知らされずお腹を空かせて、夕飯はまだかと夜な夜な母に電話をかけた日々とか。学校のみんながお弁当を持たせてくれる日、わたしだけコンビニのパンだったとか。
とにかくなんだかずっと雰囲気が悪かったなぁと思う。
これはもう不景気とか、最早親だけではどうしようもない部分の作用も大きかった気がするけれど、子供だった当時の私には分からなかった。
そんな生活をしつつ、「大人も至らなさを含んだ一人の人間である」ということを全く知ろうともせず育ってきて、大学生として親元を離れた後で、自分の生まれ育ちについて改めて考えることになった訳です。
そうやって自分の家族や育ちについて考えるうちに、親に頼りたくないなと思うようになった。
理由はうまく説明できないけど、地元に帰ってきたくもなかったし、親にも会いたくなかった。一切の関わりを絶って生きていきたいとまで思っていた気がする。
大学生活を経るごとに、大小様々な出来事のなかでメンタルの調子が順調に降下していった。
大学3年の秋や冬の頃、海外で流行りの感染症があると報じられていた。
瞬く間にコロナは日本にやってきて、大学4年の春、収束の気配がない感染症と過ごした。オンラインでの就職活動を企業と共に強いられて、「いつまでに今後の対応を連絡します」とマメに教えてくれる企業もいれば、音沙汰もなくなってしまった企業もあった。
「わたしも、日本も、世界も、明るいことなんか今後何も起こらないのかも」って思った。与えられた空気感の中で、必要とされる人格を演じるのは、悲しくも得意にならざるを得なかったから、いくつか内定をもらった。
何もかもに悲観していたから、同じぐらい何もかも悲観していた時に、縋るような思いでたどり着いたインターン先にそのまま就職させてもらった。(見通しのたたない世の中で企業就職するのが良いと思えなかったし、そもそも生きていたくなかったと思う。22歳で本気で死ぬつもりでいた気がする。できなかったけど)
卒業、就職。そこからは色々ほんとうに上手くいかずに、仕事に行けなくなった。仕事に行けない日が続いたら、ある日その翌月分とちょっとくらいの給与と一緒に解雇された。
今まで馬鹿げたプライドがあって言えなかったけど、クビだった。
結構、思い出すだけでも辛いけど、わりと終わってたと思う。少ない荷物をまとめて初めての就職先を後にした日、人の目も気にせず泣きながら帰った。
その頃には不眠や過眠、拒食の傾向が見え始めていた気がするけれど、もうあんまり覚えていない。
たしかその日、一人暮らしをはじめてから、初めて自分から母に電話をかけたと思う。
とにかく泣いて、なにを話したか覚えていないけれど、母の声がずっと優しかったのをなんとなく覚えている。
いつ寝ていつ起きているのか、痩せていく自分をたまに鏡で見て、やっとの思いで行ったハローワークで退職理由を聞かれて泣いた気がする。マジで職員さんは悪くなくて、あのときはごめんなさいって思う。
無知につけこまれたのか、それが正しい仕組みやルールに則したものか、もう今さらどうでもいいけど、退職金とかそういったものは一切なかった。
お金がなかった。心の余裕も。地元に帰る以外の選択肢がなかった。
世の中には実家に帰る選択肢を様々な理由で持ち合わせない人もいるから、選択肢があるだけマシだったともとれる。
タイミングに恵まれたのか地元で受けられる職業訓練があって、書類を出したり面接を受けたりしながら、地元に帰ることになった。
本当に面倒な家庭の理由なので省くけれど、ここでは一旦あくまで地元で一人暮らしを続けることになり、実家に帰ってはいない。
地元に戻ってからも色々あったけど、そこは割愛。自分の想像をはるかに超える紆余曲折の末、いまは実家にいます。
+++
脱線なげー。
ともかく半自動的に家計がまわっており、ちょっと足りないパーツを埋めるぐらいの働きで自分の生活が物質的に満ち足りる現状がある。
そういう状態で、前職よりも給与が増えたこともあって、以前には無い心身の余裕が生まれた。
で、改めて「自分ってどういう大人になりたいんだろう」とか「どんな人生を歩みたいのでしょう」とか、就活のときにやるべきだったことを今さらやってみている。
そこから逃げ出した自分のこともだし、色んな、見て見ぬフリをしてきた自分の気持ちについて今一度向き合ってみようと思ったのです。
そう思った理由についても一旦省くけど、生きていくことに腹をくくったかんじ。
というより、どうせ私死ねないだろうし、みたいな投げやりな諦めでもある。
自分の気持ちを、良いも悪いも含めて全部まず自分の中で認めてやるように心がけたら、前よりも自分と他人の境界がしっかり引けるようになったと思う。(これはKindleのなんか良い本読んだり、新卒社会人はとりあえず読んどけみたいな本を読んで、そのとおりにやったりやらなかったりしたらなんかいいかんじになっていた)
と同時に、圧倒的な生命維持の保証を差し引けば(なんならそれと同じくらいの質量感で父と母の軋轢の仲裁とかいうバカ業務がある状態をふまえて)別に自分だけで生活を成りたたせることができるのに、なぜ今さらこの人たちの顔色を伺わないといけないのだ?という疑問にぶつかっている。
家族という組織として仕方なくやっていくうえで、必要な連絡等の最低限の義務と敬意を果たしたり差し出したりするのは分かる。
けれどそれ以上のことって差し出す必要が無いんじゃないかな、と思っている。
何が正解というより、自分の中で納得できる答えはまだ見つかっていないけど「ぁあこの人たちって思ったより子供なのかも」と思ってしまった。
遡った過去の話もありつつ、あの時の母や父の態度をつくった原因は私には無いって今なら分かる。
けど、その当時はわからなかったから、自分が悪い振る舞いをしたから、するから、家族がうまくいかないのだと思っていた。
大人になった今ならわかる、ってことは確かに沢山あるし、それは当時を構成する大人側の事実のひとつであるとは思う。
けど、じゃあ、その時寄り添ってほしかった自分の気持ちって?って思う。
大人が、大人側の至らない部分の始末を子供に押し付けたら、子供の気持ちは、誰がどうやって始末をつけるのだろう。
もう大人になっちゃったし、与えられなかったものを「与えられなかったから分かりません!できません!しりません!」と言い続けていい年齢でもないから、自分で面倒を見ようと思うけど。
何もかも正しい人はいない。
何もかも間違っている人もきっといない。
けど、絶対に守られて然るべき立場の人間に「大人も大変だから仕方ないよ」なんて言わせちゃならんと思うのです。
わたしは「与えられなかった人間」ではないと思う。親は親なりの形で私に愛情をくれたのだと思う。
けれど「私はあなたを愛しています!これは愛です。」っていう押し付けがましい愛情じゃなくて「私は愛されているんだなぁ」ってふわっと香る愛がよかった。
高望みなのはわかっている。けれど、そう思ってしまう。
だから自分が大切にしたい人には、できるだけ、後者の形で気持ちを伝えたいと思っている。
多分わたしが居なくなっても、その残り香で少しだけ生きていけそうな、愛がいい。
望むものを望む形で与えられなかった人間が、どうすればそれを与えられるか。
それは強い意志しかない、と思う。
自分の傷を次の世代以降に再生産せず、そこにあるとも気取らせず。学びと模倣、改善の繰り返しの中で、ブレずに向かっていくこと。
多分、それが過去のわたしを撫でてあげられる唯一の方法だといまは思う。
わたしが就活をしていた頃から、日本も世界も、あんまり明るくなっている気配はない。
事件は日に日に増える気がするし、お金が前よりあるといっても自分の生活で手一杯な程度である。
一番身近な家族のモデルケースが破綻していたのだから、わたしが家族をつくりたいと思った時、それを円満にすることにまず意志がいる。
結婚、まずはふたりの組織としてやっていく中で、自分のメンタルを保ちながら相手を気遣いつつ生活を送るって結構難しく思える。
それに、こんな先細りの世の中に産み落として、健やかに守り育てきる決意が出来ないな。自分の仕事とか生活を、子供を理由に差し出したいとも思えない。
というより、それらを同じ天秤にかけて考えたくないな。
命だもん。
痛いのも嫌だし、もし自分の子供ができたら、その子にはできたら生きるとか死ぬとかそういうことを考えず、ある意味傲慢にあっけらかんと生きてほしいなーなんて思っちゃう。
今やってる仕事の業界は、男尊女卑みたいなのが割と染み付いてる気がするし、ガラスの天井も他より分厚い気がしてる。
自分の人生を大切にしたいっていまは思うから、やっぱ子供ほしいとか育てたいとか、産まれる子に対して無責任に言えないや。
でも、人体の仕組み上、子供を産める期間って割と限られてるし。その期間の間になりたい自分になるのはちょっと難しいかもしれないし。
いつか「やっぱり子供ほしかった」なんて思う日くるのかなー。めちゃくちゃ傲慢というか最早何ってかんじだけど、子供がいたら「子供がいる人生」の気持ちしか体験できないし、いなかったら「子供がいない人生」の気持ちしか体験できない。ほんまの二者択一すぎる。
だし、わたしが「子供ほしくない」から、その気持ちを尊重してくれる相手だった場合でも、その人にも「子供がいない人生」を強いることになる。
難しいや。責任なんて負いたくないなー、と子供じみてみる。
*
色んなこと書き散らして少しスッキリした。近況はこんなとこかも書き漏らしがあったらまた書くかも。
ずっと、まっくらやみのそばにいて「ある日フッと途切れてそっちに引っ張られちゃう気持ち、わかるな」って思ってた。
自分が所謂無敵の人に今のところなっていないのも、ただの偶然でしかないと思う。
でも今は、ちょっと前より少しだけ前向きに生きてみようかなって思ってる。
大好きだった音楽も、アーティストの言葉も、どうでもよくなっちゃったことに泣いた。
けど、ちゃんともどってきた。
完全に元通りにはならないけど、以前の自分より今の自分がちょっと好きだ。
頑張ってよかったな、って思う。
自分を労いたいし、頑張らせてくれてありがとう、って自分の周りに居てくれた人に思う。
本当にありがとう。
やわやわ生きていくよ。
また明日からも、よろしくお願いします。