キャンプ
立ちはだかる壁や山を見ながらどう越えるか考えるために立ち止まっているのに、呆然としているとか逃げているって解釈して、「本人のため」フィルターをかけて口をふさいで怒鳴る。みたいな人が少なくない。
そこに立ち止まる為にはキャンプを立てたりする必要があって、その人はキャンプの建て方を身をもって学ぶことが出来る。けど、皆が歩いて看板も立てられて、迷うことなく歩かせて貰っている人は、キャンプを立てても良いということも、その方法も知らないまま流されていく。
何が逃げか、立ち向かうってそもそも何なのか。向き合うってどういうことなのか。やってみないと分からない事だらけだなぁと思う。経験のぶんだけ想像力がついて、想像力のぶんだけ誰かに優しく出来ると信じている。(使い方を間違えると疲弊したり攻撃したりしてしまうかもしれない)
何でもない話をしていたい。昨日食べたご飯が美味しかったとか、今日の夢は変わっているとか、明日は雨が降るとか。
自分を甘やかしている。私はもっと自分に厳しくならないといけない気がするけれど、多分、自分が目をそらしていることに気づいてすらいない部分が、自分への深い意味での甘さなのかもしれない。
怒ってくれる人のことも、諭してくれる人のことも、もっとちゃんと大事にしようと思った。