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生きていく覚悟とかどうとかこうとかより、生活の「営み」みたいなものが一番つよい気がする。朝起きて顔を洗うとか、カーテンを開けるとか、そういうひとつひとつが、今日も生きていくってことをほのかに匂わせていて、とてもリアルだ。


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最近映画を以前より観るようになった。テレビを見続けるのが疲れてしまう、というか、「何やってるんだ?」と思ってしまうから、没頭できる状況を作り出して観るのが好き。論評や講評をしたいわけではないけど、いいカットだないい構成だな、話の組み立てがうまいな、とか何目線か分からない楽しみ方をしている。

ドラマも映画も、漫画や小説も、どれだけリアルに描かれていてもやっぱりそれはフィクションだなと思う。だからどうという訳でもなく。


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これからどうしようか。どこへだって行けるなんて確かに嘘、でもどこへだって行きたいよね、そういうことばかり語り合っていたい気がする。叶わなくてもいい。結局は「あなたがいればいい」もどこか嘘って分かりはじめて、それでようやく一緒にいることの価値を見出だしたりする。


たのしかったよ楽しかった、嘘じゃないけどでもさよなら。思い出なんて思い出せるうちが華やね、忘れたくないことは忘れるし、忘れたいことは「忘れたいこと」としてまた記憶されていく。鮮やかなものが色褪せるのは悲しいけど、はじめから色が無ければ良かったとはきっと思えない。そういう、指先だけが苦しいような不自由さ。


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人に期待しないって難しいよな、当たり前だけど、どんなあなたでも良いってのは最上級の愛であり最大の無関心と紙一重だ。


一人暮らし、飽きた。というか、寂しいのにも、それをやり過ごすのにも、飽きた。
人と話がしたい、それはこれを読んでいるあなたかもしれないしそうじゃないかもしれない。


これからどうしよっか。とりあえず海にでも行こうよ、現実逃避なんかじゃない、これも嘘かも、またいつか会えるなんてそれも嘘、になったら嫌だから出来るだけ会いに行きたいよ。
時間が解決してくれることはあるけど、時間が作った溝は時間では解決できないんだよ。


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久しぶりにお味噌汁を作ったら、出汁と味噌のバランスがとても良く出来ました。(出汁と味噌に「お」を付けるか悩みました。)

なんで生きてるかとか、実はあんまり考えなくても生きていけるらしい。でもそれはちょっと悔しい。

向こう岸から見ればきっとあなたも眩しいし、少ししゃがんで見たらあなたも悪だよ。わたしも。許せないなら許せる距離まで離れて手を振っていよう。


なんとなしに書いた要領を得ない書き散らしでした。元気ですか?
私は色々清算するべき時期のようです。では。

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