自分に、本当に、なんにもなくって床に寝転がっていたら、下の階の音が案外聞こえちゃって、そこに他人の生活があって、当たり前なんだけどびっくりして、私はひとりじゃないのにひとりだし、持て余すくらい心身は痛いし、もうダメだ、に心が占拠されてしまっている。鮮やかになんてなれない、わたしはいっつも、何にでも誰にでも、なにもしないまま焦がれるだけだ。そんな自分大嫌いだ、だから、好意をくれる人なら誰にでもすり寄るみたいにしてて、そんな自分が気持ち悪くてやっぱり嫌いだ。幸せそうでいいなって思う人がいるけど、きっと私もどこかで誰かにそう思われている。生きてるだけだ、ただ、生きてるだけ。


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いつからかGoogleマップに広がった「お気に入り」「行きたいところ」のピンを大切にしている気がする。「行きたいところ」は多分心のバランスが比較的とれている時にしか見つからなくて、「行きたいところ」に行って、そのあと「お気に入り」にピンを差し替えるのが好きだ。一人であれ二人であれ大勢であれ、思い出が紐付いたら、なんだか嬉しくなる。行きたいまま廃業になった場所もあって、いつかマップから消されてしまうのかな、でもそんな「行きたいところ」もスマホひとつ無くなれば分からなくなってしまう。行きたい場所があることは少し先の希望に成り得るけど、目の前を照らしてくれたりはしない。遠くの街灯を見つめつつ暗い場所に立ったままの感じ。

大学の4年間で飛び回るほどいろんな場所には行けなかったし、まだまだ知らない世界が多い。好きだと思える場所は変化しながら思い出になってゆくけど、そういうことすら大事にできたら良いな。

そういえばね、あの街中のあの店、もう無くなっててさ、こないだ通りかかって久しぶりに思い出したりしました。若かったわたしたちはそこから居なくならないのにね。


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もっと頭よくなりたかったなー。唇とか手とか乾燥してて冬を感じる、でも例年よりは寒くない気がしている。どうだっけ、去年の冬の気温すらうまく思い出せなくて、なんとなく、でしか言い表せない。


人と関わるって、なんかもう、怖いな。傷つくの怖いな。傷つけるのはもっと怖いし。臆病なりに生きてくしかないの、嫌だな。分からないって辛いけど、分かり合えない部分でも人は繋がれる気がしたんです。分からないと傍に居ちゃいけないなんてそんな訳ないのにな。分からなくても傍に居てくれたら嬉しいときだってきっとあるかもしれないし。


丁寧な暮らしに縁遠いから、1.5リットルのコーラそのまま飲むし、作った鍋のままご飯食べるし、箸は片方ずつ色違ったり、自炊頑張ろうって野菜買った夜にゲロ病みして深夜にコンビニのご飯買いに行ったりする。これも、私。自分のことで必死になってカッコ悪いけど、でも自分以外は自分のことに必死になれないし。常備薬と疎遠になりたい。多分無理。


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寂しいって感情そのものが自分勝手な気がしてきた。もういい加減普通の生活習慣になりたい。でも明日も刹那を愛して生きていくんだ、ぐらぐらのメンタルを手懐けるので必死です。こちらからは以上です。皆元気でいてね。

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