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生活など
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換気扇からカレーの匂いがする。もう一方からは歯磨き粉の匂い、壁を一枚隔てた向こうに他人の日常がある。預かり知らぬその詳細を想像する。
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3/28
人が生きていくためには他人が必要で、でもその日を生きるために必要なのは自分で立とうとする意思なんかもなって、きっと見当違いのことを思った。
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不明
死にたいままで生きていたって構わないって分かってるけど、それならどうして生きているんだろうと感じてしまう。
生きていたい訳じゃなくて、死ねなくて、いろんな偶然でたまたま生かされてる人だってきっと多いはずだ。
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4/9
言わなくても分かるでしょ、とか、相手に対して甘えてるだけでそこに敬意は無いんじゃないかと思った。
誰だって言わなきゃ分からない。だからこそ、あえて言わないことがある。
だいじなことは、言葉にする。まず言葉で理解する。言葉で理解した後に、実感したり、体感したりして身体に咀嚼されていく。そうして少しずつ自分になる。
だから、言葉でしか分からないときは、言葉の意味しかまだ分からなくてごめんねって最近思うし伝えるようにしている。それが免罪符にはならないけれど。
誠実であるって難しいのだ。幼い自分でも分かることがどうして大人は出来ないんだって思っていたことがあったけど、出来ないものは出来ない。嘘をつかないって難しいし、互いを都合良く扱わないって、一回やっちゃったらもうなかなか引き返せないし。しかもやりたくてやってる訳でもなく流れと天秤の中で残った結果の居所が悪い、てなことは山ほどある。
こと恋愛において言えば、好きでも嫌いでもないって何だよって思うけど、事実そういう気持ちは存在する。で、嘘をつかないって点で言えばそれは誠実だけど、無駄な期待を持たせないって点で言えば不誠実だ。今この瞬間そう思っているだけで明日には変わるかも、って本人も思うわけだから、仕方ないよな。仕方ないで済ませちゃうしかないことがありすぎる。
そういうものに苛立たたくなったのは、大人になったって言うより、単に歳をとったって言い方が正しい気がする。
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あなたの~が嫌い、あの人の~が苦手。
こういうところが本当に憎い。
詳細に説明できてしまうのは、全部、自分が持ってる自分の一部だからだ。
だから本当は、あなたが嫌いな訳でも、あの人が苦手な訳でもなく、極論自分のことが嫌いだってだけだ。
誰かを嫌うときに向けたそのトゲは必ず自分にも向いている、とよく思う。こういうところ苦手だなぁと誰かに思うたび、「でも私も誰かにこういうことしてんだろうな」と刺さる。
「もう嫌だ!嫌いだ!」と思うたび、「自分だってそういうことするじゃん、自分の嫌いな部分を他人に見せつけられるのが不愉快なだけだろ」って思う。
誰かを嫌うとき、わたしはわたしを嫌いになる。