さんさん

「読みたい本」を探して見つからないときのどこにも行けなさ。「聴きたい曲」が見つからないときの窒息感。そういう苦しさにつきまとわれて数日過ごしている。ずっと虚しい。ずっとずっと。希死念慮が同居人としての存在感を薄めてきたと思えば、新たに虚しさが登場した。要らない。


本気で落ち込んでいるときに茶化されると、怒るでも呆れるでもなく、ただ疲れたように微笑むことしか出来ないのだと知った。こうしてまた友達を失っていく。
たった少し距離が遠くなった程度で離れていく人達なんてはじめから友達じゃなかったのかもしれない、と思って、傷つく。自分を傷つけることはプロ並みに上手い。でも他人を傷つけることだって、臆病なだけで、きっと嫌でも上手く出来てしまうものだ。
極力傷つけたくないし、分かり合うなんて無理だからこそ、その逆を望むわけで。


ぽっかり空いた心のあなをぼけーっと見つめている。そこには何もないのだけれど、もう何も思わないようにすることで自分を守るので精一杯だ。誰かを疲れさせてしまう自分に疲れはてて、申し訳なくなって、簡単に死んで責任逃れしたくなる。結局いつも思うのは、「死にたい」って言ってるだけ、言えてるだけまだマシで、その「何もないところ」へどうやって向かわないようにするかのほうを考えるべきだ。人は時折吸い込まれるようにして命を絶つ。きっとその「何もないところ」に呼ばれるんだと思う。最早名前を読んでくれるのがそこしかなくて、あぁ、と許されるみたいにそこに落ちていく。くらやみ。まっくらやみ。なーんにもない。死んだって何にもないけど生きていたって別になにもない。今更どうして生きているのかなんて臭いことは考えない。


自分が薄っぺらい人間であることを突き付けられ続けている。何も考えていたくなかったから何も考えないでいたら、その人生の薄さ故に、どうにもこうにも吹けば飛ぶような扱いを受けている気がする。自分のせいかぁ。全部自分のせい。口先でそう言ってやっぱり深くは考えないから、もうどうにもなれないしならない。前向きに未来なんて見つめられない。どうしよっか。どうしよっかって一緒にわらってほしい。


呆れても愛が枯れても花は咲くおいしくなあれ、なれよ現実

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