もうこのスーパーにもあの薬局にも滅多なことが無ければ来ないんだな、財布の中のクーポン券使えなかったな、と思っている。以前から度々引越の話をしているけれど、いよいよ日が近づいてきて、生きているだけでこんなにも荷物があるのか、と驚く。段ボールだらけの部屋で、風呂場とかキッチンとか寝床とか、生活に近い部分だけまだ取り残されている。いつか朝焼けについてnoteに書いた気がするけど、いよいよそれを見る日が近いらしい。どうか、次にこの部屋で暮らしてゆく人が、ここから見る朝焼けの綺麗さに気づいてくれたら嬉しいなと思う。(でも朝焼けを見る習慣がつくほど歪な生活習慣にはならなくていいとも思う。)

退居の日が来たら、悲しくなったりするだろうか。しそうだな、分からないけど、少なくとも狭い世界を強制的に飛び出して、右も左も分からない(具体的に地名すら分からない)場所で明日からひとりで生きていく、ということになり、やっと自由を感じられたのはいつのことだっただろう。生活に慣れることに苦労したし、一人暮らしに慣れることにはいまだ苦労し続けている。18から22、たった4年、と言うにはまだ人生が短い。生まれてから物心ついて記憶の定かな年数で考えれば、まだ、4年ってものすごく長い時間だ。

本当に、いろんなことがあった。
溜まり場になるような部屋でも性格でも無かったから、この部屋に訪れたことのある人は割と明確に思い出せる。だからこそ、一人ひとりの、過去と今を思う。家主だから当然、訪れた人のことは見送る側なんだけど、その時の「バイバイ」や「またね」や「さよなら」を思う。笑顔だったり真顔だったり泣き顔だったりしたそれらは、なんだか皆もう尊いな。思い出になってしまいました。それくらいには「今」を生き続けてこられて、まぁ、悪くは無かったかもな。


捨てたもの、捨てられなかったもの。変わったこと、変わらなかったこと。変えられなかったこと、変わってしまったこと。


許されたいまま、怖いまま、明日も生きていくんだな。忘れてしまってもう思い出せないこともきっとあるけど、これからも増えていくけど、明日があったとしたら、忘れたくないことが増えていく毎日が良いな。

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