ばらばらと
「おかえり」とか「ただいま」とか「いってらっしゃい」とか、誰かと交わすたびに少しだけ力が入ってしまう。
言い慣れないし、言われ慣れない。それらの言葉が当たり前でなくなったのがいつからか遡ることすら面倒だけど、そういう言葉に触れるたび、「日常」っていう概念に実体がついた気がしてどこかざらざらした気持ちになってしまう。そういう言葉を交わすくらいには私の「日常」に近い存在だって認められてしまう気がしてなんだか怖い。
言うときは、その人に向けて、というより、もっと力の及ばない遠くに向けて祈る気持ちがある気がする。
それらの言葉を何の気なしに言えることが幸せかどうかは分からない。
と、こんなことを最近観かけている(まだ全部観たわけではない)映画から思いました。映画を自宅で観るのは苦手です。すぐに停止してしまうから。そういうこともあって観たい映画は極力映画館で観るようにしている。
先日観て大好きになってしまった映画「佐々木、イン、マイマイン」については、映画と関連する小説を読み終えてから感想を書きたい。地方によってはまだ映画館で放映しているので是非観て欲しい。
最近の悩みといえば、こんな歳にもなって、こんなにもしっかりしていない・しっかり出来ない自分がいるなんて思っていなくて、自分に幻滅しているくらい。そこまで自分のプライドが高いとも思っていなかったけれど、あまりに色々、出来ないことが多い。ダメだなぁと思うことは簡単で、改善する手立てを考えられないと八方塞がりみたいな気持ちになる。
世の中の全てがネットや教科書に書かれているわけでは当然無いけれど、それにしたって、自分の悩みも苦しみも、全部ぜんぶ結局は誰かが先に通った道だなと思う。
自分だけの悩みや苦しみなんておそらく無い。言葉にしてしまえば共通項で、でもその中身は色も重みも人によって違う。そこがどうも測りかねるというか、傷ついたり傷つけたりの一因になっている気がする。
日々フラッシュバックと共に生活している。というか、「これがフラッシュバックか!」と気づいたのも最近で、世の人は常に過去のやらかしとか人との会話とか思い返しながら生きているものだとばかり思っていた。
咄嗟に怒れなかった自分、嫌だったことを引きずり続けてしまう自分。嫌だなと思いながらなかなか変えられないな。あれもこれも怒れたらよかったな、嫌だと言えたらよかったなと今日も思って、そこを越えたくてじくじくと蟠る心と戦う。敗戦続きです。今なら負けないって言い返せるようになっていたくて足掻く。そんなこと何も教えてやらないけどな。
短歌、「うたの日」なるものに参加してみるようになりました。題に合わせて詠むのもまた楽しい。
本読んだりゲームしたり働いたり字書いたりなんやかんや充実してると思う。一人でも楽しいけれどやっぱり人が居たら楽しいな。方向性の違う楽しさを大切にしていきたい。