つらつら2
からだとこころ、どちらが先に綻びを見せはじめたかは忘れたけれど、なんだか以前のようにちょっとずつ恒常的に体調が不安定でいる。心が体に表れているのもあるだろうし、体が心に表れるのもあると思う。常にどこかぐらついている感覚の中でどうにか漂っている。大切なものはやっぱり大切だからこそ少しだけ離れていたい。私の汚さで汚したくないと思う。絶対にそれだけは嫌で、だからこそある程度最初から汚れているような人間とは心持ち楽に居られる気がする。ここで言う「汚れ」が具体的に何を指すかはまだうまく言えない。でも、死にたいと思ったことが一度でもあるかどうか、みたいな、割と大きく人と人との間に溝を作る違いだと思っている。
ただ楽しいとか心地良いとか理想みたいなものを追求して生きたって、それらと周囲の様々とがある程度折り合いがつけば誰にも咎められないだろうに、ただ生きているだけなのに常に人生の根底に贖罪の意識がある。信心深いとかではなく。ただそこに居て生きているだけ、っていうのを許されてこなかった、許してこなかった環境と自分が居てそうなっているんだと思う。
基本的には相手が良ければ良いみたいなスタンスで居るから、それは嫌だとかいう感情が出てくる前に「まぁいっか」で自分の気持ちすら自分に隠すような癖がついているらしい。その割に違和感に気づいたら止まらなくなって、相手が自分にたいしてある意味やりたい放題(相手としては私と居て楽だから、楽に振る舞っているだけ)されるようになってから急に自己防衛に走るから、後々「裏切られた!」って大騒ぎされたりする。生きるのが下手とかそういう次元で片付けるには失敗を重ねすぎているとは思う。学びたい。なんか根本から変えたほうが健全でいられる考え方ってきっといっぱいあるなと思った。
実家とか一人暮らしとかいう概念が存在しない頃、当たり前みたいに友達の実家に遊びに行ってて、なんか今はそんな勇気無いなと思ってしまう。なんであんなこと出来ていたんだろう。守りたいものも見せかけもなんにもなかったからだろうか。
ずっと接客のバイトとかをしてて、年末年始にまとまった休みを取ったことが少なかったから、いざ与えられると正直何をして良いか分からない。クリスマスだった実感もなくて、イベントの残り香を追いかけてるうちに年の瀬。身辺の問題を出来れば年内に片付けてスッキリ新年を迎えたい。何しようかなって思ってるうちに新年になってやりたいことが出てきたところで仕事が始まるのでしょう。地に足つけて生きなきゃなあって言いつつそれをするのが「生きてゆく人」みたいでやだなぁとどこか思う。結局まだ、生きてくことに覚悟がない。こんなんで大丈夫かな~、なんとかなれ人生。
せわしくて疲れのたまる時期ですけどぼちぼちいきましょね、お疲れさまです。