延長戦の先へ
過ぎていく時の流れになす術がないことを誰かが儚いと読んだ
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雨音が少し。もぬけの殻のベッドが寂しそう。壁が薄いなって思って4年目、隣の部屋のテレビの音か話し声、どこかの足音、顔も知らない誰かの「生きている」の心地で目覚める。洗濯機はとっくに仕事を終えているから私はそろそろ起きなくちゃ。
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なんとなく毎日少しずつ楽しい、みたいな日々がとても怖い。こんなに楽しくていいのか、幸せでいいのか。次は何に突き落とされるんだろう。一回壊れてしまったら、気づいたときにはもう七分目で生きていく力しか残ってなかった。驚くほど、「無理ができない」を心よりも先に体が教えてくる。頑張りたいのにって思うときもある。わたし、わたし。
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誰かのやさしさでちょっとずつ生かされている。私は誰かにとってのそんなふうに成れているだろうか、
誰からの返事もない夜が久しぶりに寂しいと思った。LINEやらTwitterやらSNSで繋がりを可視化することにこだわるの、いい加減やめたいな。進まなくては。どこへ?
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いつまでも一緒にいられるわけじゃないって分かっていながら「一緒にいたい」と思っていたことを形に残す、それが物であれ関係性であれ、こんなに尊いことはあるだろうかと考えてしまった。捨ててしまったことも選べなかったこともきっと覚えているよ。まだもう少しだけ、先は長い。
好きなアーティストが「ロスタイムのそのまた奥へ行け」って言っていて、最近それが身に染みる。死にたいと思ってからが人生の延長戦、延長戦も使いきったら結局道が続いていたみたいな。弱いなりに、生きていく力はついていたらしい。弱いまま逃げてしまえたらいい。そのまんまで、生きているのは、生きていればこそ。