常
少女漫画みたいな恋がしたい、とか、生活がしたい、とか、生き方がしたい、とか、とかくドラマティックを求めてみるけれど、少女漫画の世界で読まれる漫画があったら、そこに描かれるのは私たちが生きる現実なのでしょうか。絶対そんなことないと思う。
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いつだったか、ピースサインかそこらあたりで、「昔の自分にお伺いをたてるように生きていて、まぁ悪くないんじゃないとは言ってくれるかも」みたいなニュアンスのことを推しが言って(書いて)いたと思う。その心が本当に最近よく分かるようになってきた。定期的に、叶える叶えないは別として死にたいと思いつつ、それでも「まぁ人生、案外捨てたもんでもねえよ」と言えるようになりたい。尊敬する人は皆これを言うので、私もそうなりたいのです。捨てたもんでもない、って言葉は、多分だけれど、その人なりに「捨てよう」とした経験や考えが無ければ出てこないと思うから。
周りの大人や友人に失望や諦観を独りよがりに抱いていたときもあったけど、少なくともその当時の自分が今の自分をみた時に、「こんな大人も居るんだ」って思ってもらえるような、希望とまではいかないけれど視野を広げるには充分すぎるくらいの大人になっていきたい。
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私の書く文は割と「感情」を擬人化していることが多いかもしれないなと思った。絶望や孤独、嬉しさや楽しさ、感情というより感覚かもしれないけど、それらのものは、私の中にある、というより、私と共にある、という感じがする。
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耳の痛い言葉から逃げるな。図星だろ。聞け。目を開け。ちゃんと見ろ、ちゃんと痛くなれ。
ってそれこそ聞きたくない逃げたいような言葉を見聞きする度に思う。一瞬でもちゃんと痛くならないと多分向き合えもしない。どこにあるか分からなくなるだけな気がする。
利他は本当のところ利他に見えているだけで、行為の心としては結局利己からスタートするよなと思う。あなたのためって言うけど実際別に私のしたいことをしたいようにやって、結果的にあなたのためになったらラッキーかつハッピーなだけだよなぁ。だから多分、極論だし強すぎる言い方になりはするけど、「あなたのため」とか「力になれます!なります!」を前面(全面)にゴリゴリ押し出しながら関わろうとしてくる人が苦手だし嫌いなんだと思う。過去おそらくそういう自分だったときもあるから余計に。自分が誰かにしたいことなんて、大抵がお節介に過ぎなくて、別に相手だって求めてないかもしれんし。
その時々で信念を抱いて生きてる自分は嫌いじゃないけど、その信念は日々更新されてゆくから、結果として過去の自分に向けて自己嫌悪してるところだけは変わらないでいる。言い換えれば、昔の自分より今の自分のことが好きでいられている。
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仕事頑張ります。冬の割に暖かいね。