言語化練習中
10代前半くらいの頃は、人と人が分かり合えないことが辛かった。
今はむしろ、分かり合えないことが分かりきっているから、分かり合おうとしてくれないことのほうが辛いなって思う。
分かり合えない、その上で私とあなた、お互いの違いについて言葉を交わしていきたいって思う。
それを経て(向き合った結果)喧嘩したり仲直りしたりしていきたい。
恋愛関係だけでなくてあらゆる人間関係において結構大事にしていきたいポイントだなーと思う。
遠慮したり諦めたりして言葉を交わさない、適切に喧嘩できない関係が一番終わっていると思う。
子供を生み育てるなら、という話。
冬は積雪があるから特にだけれど、最寄り駅まで徒歩1時間!みたいな田舎に住んでいると、大人の機嫌やタイミングによって機会が左右されてしまうな〜とつくづく思う。
大学進学で県外に出てから、あらゆる文化資本への物理的・機会的アクセスの良さに驚いた。というか軽く絶望した。
育ちというか、こういう機会ってそばにあったら選べることが当たり前で気が付かないと思うけど、遠方に住んでるだけで「行くor行かない」ではなく「行けるor行けない」みたいなところから話が始まるのがキツいなーと思う。
生み育てるなら、子供が望んだときに機会を手に取れる場所がいい。
油?太ること、醜くあることが怖い話。
10代、中学生くらいのころ、思春期まっさかりの時期
成長期やスポーツをしていたことが相まって、結構しっかりとした身体つきというか、割に筋肉質だった
それもあって、男子学生(所謂カースト上位的な方々)に足が太いとかって言われていたのを知っている。
ものすごくそれを気にしていたし、今も気にしている。去年くらいからやっと人前でもハーフパンツや膝上スカートもタイツ着用したうえでなら履けるようになった。
他にも、目鼻立ちがくっきりしているわけでもなく、なんだかずっと見た目のことを気にして鏡の前で泣いていたこともある。なぜ可愛くなれないのか!なんて思っても、田舎の中学校でメイクなんか許されるわけもないし、そんな発想もなくなんだかずっと辛かったな。
中学〜高校?くらいで、家の中でもずっとデブとか言われていたので、なんだかそういう感じのことが理由で、とにもかくにも、太ることが物凄く怖い。
これ以上醜くなってしまうことが本当に怖い。その醜さの定義って?とか色々思うけど、そのあたりはまだ踏み込めない。
怖い気持ちにまだ勝てないというか、そこをちゃんと触れるようになりたくてこれを書いている。
運動をしなくなったり受験期で太ってしまっただけで、標準体重から外れたことはなかった。
でも、なんかつらかったなー。
ということとか、大学や社会人入口くらいの出来事を経て、最近はほとんどないけど一時期はご飯食べられなかった。
吐いちゃったり。もったいないって思うのに体が受け付けてくれなかったり。
お肉食べるの、こわい。野菜が好きなのはあるけど、それはそれとして、お肉は出来るだけとりたくない。お肉というか油みたいなかんじのやつ全部嫌、魚はまだ大丈夫
もともと少食なのはあるけど、食べたい気持ちはあるのに「これ以上食べたらダメ」って体がなっちゃって、食べてるうちに気持ち悪くなってしまうことがある
結構つらい だって美味しそうだし食べたい気持ちはあるのにね
一緒に食事をしている人にも気をつかわせてしまうこともあるし、改善したいけど、時間がかかりそう
自分の尺度で、受け入れられる範囲、理解できる範囲のことを努力といって、それ以外を拒絶してしまう母親の姿勢がつらい
つらいこと、つらかったこと、ちゃんと言葉にしていく練習中
今年ももうすぐ終わりだ、少しでも美しくいられたでしょうか
私に関わってくれたみんなに、少しでも楽しい気持ちとかあげられただろうか
頑張って生きていきたい