見出し画像

21~6/4 悔

5/21

読んだ本やドラマ、アニメまではさすがに数えきれないけれど、観た映画を数えてしまう。どれにしたって、何か「糧になった」実感が欲しくてやっているのだと思う。途方もなく誰かの何かになりたいけど、じゃあそれが叶ったらもう終わりな気がしていて、突き刺すように今日も消費したりされたりする。


5/30
期待しないようにして生きていきたい、とよく思う。というより勝手に期待して勝手に裏切られたと思ってしまうのは悪っぽい気がしてやめたいと思っている。けど、期待することと相手を信じることは紙一重というかほぼイコールなんだと気づいて、あぁだから期待しないというのは難しいのかと腑に落ちる。もう少し細かく言葉に出来そうな気がしている。

生きている意味なんか無いことこそが救いです、それを探す自由と苦しみは平和と保障の上にしかないし。


6/1
乾麺、米、調味料、胃に収まるまでひと手間が必要なそれらを残していくことでこの部屋を「帰ってくる場所」にしておきたい自分がいる。明日には花瓶の水を替えること。わたしが元気になるにつれ細かく綺麗になるこの部屋はなんか生き物みたいだな。


某日
電話してたら会いたくなって自転車飛ばして会いに行けちゃえたあの頃はやっぱり眩しいし戻りたいけど、戻れないから輝いてるんやろうね、あの町がどれだけ開発されても私のなかではあのときのまんまだと思う。戻れないことが過去の美化に拍車をかけるけど、今だっていつか美しくなりますか、教えてくれよ。

眠剤が効いたり効かなかったり、まちまちな睡眠と食生活のなかでただ不健康になっていくな、人と話をしていなさすぎる、それにすら気づいていなかった。ストレスと無縁の生活のなかにも悲しみは染み出てくる、何が悲しいのでしょうか。働くのがもう怖いです、どこにだって仕事はある、珍しいキャリアでもなんでもないことは分かっていて、ただ先の未来にこんなに怖さを覚えたことはなかった。

最近毎日1本映画を観ている。それだけ。

自分の人生を受け入れられないのは自分への期待値が高いからなんだろうか。わからんな、ぐるぐるしているのに眠れないときは厄介だ。


6/4
自分だってそう言っちゃうんだろうなって思いながら「私が若いときも毎日泣いてたよ」って話を方々から聞く。分かる。その当時あなたは辛くてそれを乗り越えて今があって、皆そんなもんだから大丈夫って励ましなのは、分かる。そう受け取れない自分がいて、苦しみや辛さの許容範囲は人それぞれなのに、どうして今つらいときにあなたの当たり前まで受け入れなければならないのか、とひねた私が内から告げる。うるさいと制して「そうですよねぇ」とへらっと笑って誤魔化す。そんなんやからやで、とまた内から刺されてもういたたまれなくなる。
耐えられなかった私が悪い、て思えば楽で、実際のところ会社も私もよくないところはたくさんあったのを、(特に私が)思いだけで乗りきろうとして、壊れた。

短絡的な方へ逃げてはいけない。どうせ後から受け止めることになるんだから。(ただし逃げることがその時その場の自分における最善手の場合もある。)


向き合わずに素通りしてきたものと今一度ぶつかってみる、クソみたいな人生の清算やら矯正やらを自分なりにしてて、まぁ骨が折れる折れるボキボキ。中途覚醒した意識のなかでこれを綴っています。「ふつう」に眠りたい。悔しい。

いいなと思ったら応援しよう!