京都にて
誘われて悩んだ結果、1週間京都に来ることにした。
久しぶりに乗った新幹線は緊張した。久しぶりに乗ったからじゃなくて、向かうためにこちらから乗るのが久しかったからかもしれない。
電車で3時間半?程度の長旅も、風景を眺めて眠っていればすぐだということはこれまでの経験で知っていたので、特に時間を潰すものは持っていかなかった。
会いたい人は少しだけ居て、でも会いに来てくれるような人は誰もいない。そんな人間関係しか培ってこれなかった。でも、地元に帰って新しい人間関係も少しできたし、遊んでいて楽しいと思える友達がいるのは地元の方だなと思った。結局、こうするしかなかったけど、これでよかったんだな、と思う。そう思えてよかった。
久しぶりの京都はまず人が多くて忙しない。関西弁が聞こえてきてなるほどと思う。私のエセ関西弁はすっかり抜けきっている。
今回の滞在は住んできた土地とは少し離れたところでの滞在なので、慣れる頃には帰るというかんじ。
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忙しくってその間のことは綴っていられなかった。帰ってきてからこれを書いている。
思い出のある場所ばかり閉店してしまう。私の知っている京都では無くなってゆくのに、そこはたしかに京都で、もうここはわたしの生きる場所ではなくなってしまっているんだな、と思った。
久しぶりに会いに行った人に、戻っておいでよ、と声をかけて貰った。
うーん、と言って濁した。
思い出のありすぎる街は生きるのがつらくなる。会いたい人も会いたくない人もいる街はつらい。それに、いまの不便もある暮らしになんやかんや愛着もあって、離れがたくはある。
わたしをわたしたらしめるものは何なのか。寄せ集めで出来た私を愛している。
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まとめると、1週間の滞在は楽しかった。それが京都だから楽しかったのか、人に会って話が出来たから楽しかったのかで言えば後者だと思うし、そう思えば、会話できる人がいるならどこでだって生きていけるのではないか、と思った。
全然関係ないけどタピオカ飲みたいな。お気に入りだったタピオカ屋さんも閉店していたな。街は生き物だな。