人間味

食器のぶつかる音、扉の閉まる音、車の止まる音、シャワーを止める音。
全てを気にして暮らしていた実家のことを思い出す。自暴自棄も神経過敏も自衛だったあの頃。今となっては「気にしすぎ」で一蹴されてしまうけれど、少なくとも私にとっては心身を守るたったひとつの手段だった。
絶対忘れないで、大人になった私、って制服の頃は思っていた。大人になったら全部解決できる、って思っていた。実際は、解決に向けて動ける自由と責任がくっついただけで、心の中でまだ制服を着たままわたしは死んでしまっている。忘れないで、と思っていたことしか覚えていない始末。記憶はやはり美化と変質の中で白んでゆく。事実なんて、真実なんて、どこまでも主観でわたしの中にしかない。歴史は誰かの解釈を共有しているだけの産物かもしれない。

あの頃のわたしに差し出せる言葉を今も探している。



癖って人間味だ。


まだ君の名前のかたちの口のまま
心が忘れても体が覚えていてくれることは、時に残酷で、その残酷さを感じなくなる時が一番残酷だ。



欠けている部分を埋め合わせたり繋ぎ合わせたりするために私達は言葉を紡いでいる。
ずっと昔に心を折られたり折れたりして詩を書くのをやめてしまっていたけれど、やっぱり心がうたいだすのを私は止められない。埋まるまで、ずっとずっと。

いいなと思ったら応援しよう!