日記 ~1/29
何やら辛うじて無職ではなくなったものの、不安しかない日々を送っている。寝る前に玄関の鍵が施錠されていることを確認しないと眠れなくなってしまった。何かにつけて感じる恐怖、誰かといたらほとんど感じないので、最早ひとりで居ることが怖いのだと思う。
友達が欲しいけれどもうこれ以上近づいたり離れたりで傷つくのは嫌だし、第一に手に余るほど大切にすべきものがたくさんある。もう抱えきれないってなるのなら、はじめから抱えに行かないでも良いとか、今日も身を守ることについてたくさん考える。
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家族と居たら嫌なことも面倒なこともたくさんあるし、体裁やリアルな生活のために離婚できない親達を見ていて心底嫌になる。けれど、要は脛を齧っているのは楽チンで、そうやって生きてたいと思ってしまう自分もいる。それはそれで情けなくて死にたくなりそうだけど。
死にたいって最近思わなくなった。というのは多分嘘で、口にしてる死にたいに重みが無くなった。日々別に生きていたくはない。けど今すぐ死ぬ理由もそんなに無い気がしてきてなんとなくで生きている。そこに理由を求めるのは最早無粋な気がしている。
生きている理由なんて無いって認めた方が確かに楽で、でもそのとおり、生きている理由なんてどこの誰にも存在しない。後天的に得た人、理由を作り出した人は居るだろうけれど。
その人たちが偉いとかも、ちっとも思わない。生きる理由を持っている人が勝手に偉そうにしているだけだと思う。ひがんでいるだけかもしれないけれど。
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これまでの自分の道程を振りかえって、ふと誰かに認められたくなってみる。自分と絶え間なく付き合ってきたのは紛うことなく自分だけなので、今日も自分で自分を認めてやり過ごす。端的に言うと褒められたい。認められたい。
でも口先で言われたって何ら嬉しくないし、まだまだ至らない所ばかりでどうしようかと思うから、今日も粛々とやれることをやっていくしかない。
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頑張れる土俵がどんどんレベルアップしてる、という旨のことを言って貰った。嬉しかった。
死にたいって言葉に重みが無くなっただけでも儲け物で、これ以上何を望むかと言われたら、強欲だから、断薬したいなと思う。
社会人として世に放り出されたら、もう当たり前の道なんてどこにもなくて、それでもやっぱりどこか道を外れて生きてきてしまったなと思うから、私はどこまでいってもありきたりな人間になりたいと思う。極限までそれを忌避しながらそう思う。
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「生きたい」と思うことがそんなに崇高な感情だとは思わない。別に死にたいと思っていても生きていけるし、生きたいと思わなくたって生きていける。そんな淡々とした事実に今更気づいた。事実を事実として受け入れて生きていくために、私たちには言葉が必要だと思った。