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「素直になれない」は「嘘つき」


なんにも出来なくてもただ生きていれば良いんだよ!なんて嘘だ。正確には嘘ではないけど短絡的な救いで、結局は誠実じゃないんだろうな。誠実であることは強くて痛くて正しい。だから眩しい。

何か落ち込んだり悲しいことがあって、何にも出来なくなってしまうことがよくある。そういうときは「生きる」ことへのハードルをとことん下げてやり過ごす。ご飯食べて偉い、呼吸してて偉い、生きてて偉い。つい自分も人に言ってしまうけど、その言葉だけを無責任に放り出したら、後々困るのはその人で、そして自分も困るような事態に更に落ちていくんじゃないだろうか、と思うようになった。
まだうまく説明できないけど、無責任なこと言うもんじゃない、という話。
だって「生きてて良い」って簡単に許しても、実際にその人が生きていくことに何の責任も取らないんだから。そんな言葉はきっとぺらぺらだ。浅はかな救いは堕落と何が違うんだろう?

書いてて思考が尖りすぎてる気がしてきた。


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あくまで前を向きながらジリジリ後退してる感じの日々。前を向いています、というポーズはとっているけど、だからどうっていう。爪先立ちで散歩するような、微妙に伝わりづらい苦しさが積もっていく。

私は私に何にも求めない人(もしくはそれを感じさせない人)が好きなのだと気づく。そういう人にすり寄って行く代わりに何か蔑ろにしているものがきっとある。

自分は自分のことしか見えてなかったし、自分のことなんて自分以外考えてくれないからそれでいいんだと思ってきていたけれど、どうもそういう訳でもないらしい。
これは痛くないか苦しくないかと思案することは、善って言いきれないらしい。分かるんだけど分からない。


ずっと昔から、「ちょうどよい」の程度が分からないまま生きている。あるわけないのに「普通」になりたいし、もし普通になっちゃったらそれは私が存在しないこととおんなじなんだろうなとも思う。
ちょうどよさ、が分かれば、苦しむことも少しは減るだろうか。


誰と関わるのも辛い、みたいなことがじわじわと2~3ヶ月は続いている気がする。気力が無いな。違うな。楽しいことを楽しいと思えなくなっている。つかれた、とか、どうして、どうすれば、ばかり口から溢れる。何にもしていないし、できていないのに。


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どうしてそんなに素直じゃないんだと問われて、自分が素直でないことに気付いていなかった、と気づく。素直でないだけ、ただそれだけのことなのに、相手にとっては嘘をつかれているのと変わらないらしい。

私は嘘をついていたんだな。無自覚に。そのことになんとも言えない気持ちになって、この土日は現実逃避に全振りしていた。

仕事の勉強をしなくてはいけないけれど、それをすると胃痛がするからしなかった。古本屋で80円だった短編集を読んで少し泣いた。風呂を掃除して、皿や服を洗って、当たり前の暮らしを当たり前のように過ごした。とても平和だった。でも話をする相手が居なかった。初めてカウンセリングを受けた。これまで困ってきたことを当たり前に受け入れたうえで対応してくれる人に出会って、はじめて人間扱いされるような衝撃を受けた。嬉しかった。引っ越してから長さが合わないままだったカーテンのすそを縫い上げた。玄関を掃除してコンロを拭いた。この間すべてフラッシュバックと戦っていた。それでも、私はどこかで誰かの悪者なんだろう。


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雑記を整理。

2/28
ダメかも、とか、弱ってる、とか言っても、頑張ろうって言わないで居てくれることにまた簡単に救われて泣いてしまった。
その優しさの中でだけ息が出来る気がしてしまった。

3/3
いつか死ぬとしても誰かに先立たれるのは寂しいから、どうせなら一緒に溶けるように、ほどけるように消えたい。

あなたがいなくても生きていける、生きていけてしまう、の痛みを本当に味わうのは、きっとあなたにもう二度と会えなくなってからなんだろう。


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人を見下していることにも、消費していることにも、それらの暴力性にも気づかないで分かった気になっているところが、嫌いだったんだと思う。でもそれは、全部、わたしだ。


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