今死にたいあなたへ。私が生き延びるために有効だったこと。

何らかの経験をして、学んだり後悔したりする。それを覚えていて、自分より後に生まれた世代に伝え聞かせて「こうなるな!」って怪我する前に守ろうとしてみる。お節介とか、老婆心とか、ともすれば害悪とか。

必要としている人に、過不足無く自分もつらくない量のサポートをするって結構難しいことだよなーと思う。





日本の約8割はアダルトチルドレンらしい。なーんだ!マイノリティじゃないだけ共感や共有がしやすいじゃん!と思った。

別にこれは、あらゆる属性や分類によって自分はマイノリティ側だと思っている方を傷つけたい訳では無い。

ただ、マジョリティでありながらそれが目に見えにくいのは、やっぱり家族のことには立ち入らない・立ち入れない雰囲気があるからかなと思う。

そういう雰囲気ができていったのも、日本の歴史に基づくものだし、私個人の力でどうにか出来る訳では無い。


ただ、マジョリティ側の悩みでありながら、抜本的な解決や対策が成されていないよなーと思う。

仕事で部下をもつ、親になる等、その集団を構成するメンバー間で権力が均等にならない場面は多々ある。多々あるはずなのに、そうした場面における理想的な立ち振舞いみたいなものは、後天的に身につけるべきとされて教育の場面がない。


義務教育に織り込める余地があるとも思えないけど、変わり続ける「世間」のなかで、それを後天的に身に着けろって結構むずかしくないか?とも思う。

課題意識を抱いたとして、育ってきた環境に個人差がありすぎるから、形式的にセミナーなんかやったところで「なんかよくわかんなかったな、結局どうしたらいいの?」ってなる気がする。





自分の話。

詳細は色んな過去記事を読んでいただければ方々に書いてあるのだけど、今回書きたいことについて抜粋する。


・メンクリに行くまではめちゃくちゃしんどいし、相談したい気持ちは物凄くあるのに、やっと行って診察室に入ったら「大丈夫そうですね」って言われたり「大丈夫ですね」って言ってしまう


・親をはじめとする対人関係に悩みがある(他人に比べて一般的な情緒や常識の欠落している部分があるのを感じるor指摘されたことがある)


非常にざっくり書くとこんなかんじ。

どちらかに共感を覚えて、かつ今悩んでいる方はよかったらこのあとも流し読みしてほしい。

特に共感を覚えなかった方は、最高なので引き続き互いにその時々のベストを尽くして生きましょう。



では続き。

上記2点について非常に長い事悩んで考えています。時間にすれば、もう物心ついた時には悩んでいた気がする。というかそれが悩みだと認識できないくらいに常にそばにあった。


その他にも人生いろんなことがあった。

学校には行けた、というか行かない選択肢がなかった。行きたくないって言い出せなかったし、既にトラブっている親に対して自分のトラブルを持ち込めなかった。家庭の平穏が自分のしんどさよりも大事だった。

大学進学して親元を離れ、あらゆる事を経て拒食や過食、嘔吐とか、家から出られないとか、そんなかんじの鬱だった。

親の扶養に入っている間は、保険証を使うと、使ったことが時差でバレると経験済みなので、こっそり病院に行くこともできなかった。

ずっとしんどかったんだろうけど、しんどいって分からなかった。


という感じの人間でしたが、またあらゆる事を経て今それなりに元気になっています。

元気になるためにやった、というより、これをやったから元気になれたのかも?というのを書きます。


もしかしたら誰かの「明日だけ頑張る」きっかけになるかもしれないし、自分が努力した記録として残しておきたいので。





1.環境

2.心情

3.その時やっていたこと


大体このへんをポイントにしながら、人生振り返り的な感じで書いていきます。

長いかもしれない。




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●幼少期〜高校生(親元にいる時期)

環境:

・離婚したほうがマシみたいな家庭

・中学生くらいまでは本当に家にお金がなかった(と思われる) 

・日付が変わるまで両親が帰ってこないこともあったので、よくお腹をすかせていた記憶がなんとなくある

・共同の寝室でイヤホンをして音楽をききながら泣き声を殺して眠っていた(そうしているうちに空が明るくなっていったので、実際はあんまり寝てないと思う)


心情:

・常に親同士の雰囲気が悪く、自分が悪い振る舞いをするせいで怒っているのだと思っていた

・人に頼っても無駄、あらゆることは自分のせいで、自分でなんとかしないといけないと思っていた

・生まれるべきではなく、当然ここにいるべきでもないので、その場に存在することを許されるために、場を構成する他者にとって快いことをしなければならないと思っていた


その時やっていたこと:

・音楽を聴く(無いと耐えられなかった)

・読書(同上)

・自傷(痛いの嫌なので割とすぐやめた)

・日記をつける(何を吐き出してもいいノートとして、いつ書いてもいいし書かなくてもいいルールにした。罵詈雑言書いてある日もあれば涙のあとでパリパリのページもあった。もう今は大半を処分してしまって手元にない。)


-現在の所感-

感情を言語化する習慣がつけられたのはよかったことだと思う。

ただ、抑圧している感情があることに自分で気づいていない状態でもあったと思う。

生きる環境も条件も自分で変えられないから、そういう意味ではこの時代が一番しんどかった気がする。


※対象期間が長いので、印象的だった部分のみまとめてある。




●大学時代

環境:

・地元から離れた(片道4時間はかかる)地域で一人暮らしをはじめる

・とてもお金がなかった

・元々友達を作るのが苦手だったが、ある出来事を経てリアルの友人がほぼゼロになる

・Twitterで知り合った好きな音楽が共通しているフォロワーの皆さんにとにかく助けられまくる


心情:

・生きるとか死ぬとか極めてどうでもよく、早く死にたかった

・怖くて死ねなかったので、22歳になったら死ぬと決めて、それまでは悔いを残さないように生きようと思った

・なんで皆助けてくれるんだろう?

・生きてても良いことなんか起こらない、生きてて申し訳ない

・(ちょっと回復した時期)助けてくれた皆に、直接お礼を伝えてもキリがないから、同じように困っている人の力になりたいな

・とは言えしんどいので無理、やっぱ死ぬべき


その時やっていたこと:

・音楽を聴く、読書(気づいたらどちらも熱や興味を失っていた)

・やり残したことリストを作る

・人との約束を作る



-現在の所感-

趣味があったので、それが手につかなくなったり興味がなくなった、どうでもいい、と思ってしまった瞬間の絶望感をよく覚えている。

ただ、すごく悲しくはあったけど、それがあったから「無くした」ってわかったのは、ある意味指標になってよかった。

人との約束は、できるだけ具体的にたくさん作った。死ぬことより約束を反故にしてその人に嫌われることのほうが嫌だったから、その約束を果たすまではとりあえず生きようと思えたのでよかった。

そのために、無理すぎたけど無理やり最低限の身だしなみを整えることができた。無理すぎたけど無理やりご飯を食べることもできた。あの時は本当にありがとう。今つながりが無くなってしまった方も、ありがとう。

やり残したことリストも非常に有効だった。ちょっと手をだせば叶いそうなものから、到底叶わないでしょうみたいなものまでとにかく出せるだけ書いた。

本気で死ぬつもりだったので、死ぬ前に一回はあれを食べてみたい、ここに行ってみたい、とか書いた気がする。本当に不思議なんですが、やり残したことをやっていくと、やりたいことや気になることが出てくるんですよね。

あれってどうなんだろう?別のメニューもおいしそうだったから今度はあれが食べたいな、とか。

私はこのリストを20歳の時に作ったのですが、副次的に出てきたそれらも叶えようとすると、到底あと2年では足りないなと気づいた。あぁ死ねないのかもと思って、本当に死ねずに、23歳になって、ここからは延長線みたいな人生を惰性でやっていくしかないのだと改めて絶望した記憶がある。


今もう目の前が真っ暗で、本当に明日なんか来なくていいし、最早そんなことどうでもいいから早く死なせてくれ!みたいな方へ。

そういった方がこれをここまで読むのは、人によってはとてもしんどいことと思うので、まずはありがとうございます。

本当につらいよな、そしてそれを人と共有しきれないのがつらい場合もあれば、共有できてしまうからこそのつらさもあるのではないかと思う。

だから、一旦タイムリミットを作ってみませんか?

私の場合は22歳だった。社会に出る前の最後のタイミングとしてそこに決めたけど、別に理由なんか何でも良いし数字もどうでもよくて、「この苦しみはいつか強制終了のタイミングがある」と認識できることが大事だと思う。

終わらないから、つらい。だから一旦タイムリミットを決めてみる。


その後、もし気が向いたら、周囲にいる人とささいな約束をしてみたり、数時間後とか明日とか、小さい単位の未来の自分と約束をしてみると良いと思います。

タイムリミットまでの時間を惰性で過ごすよりは、やることがあったほうが乗り切れるかもしれないので。




社会人になってからのことはまた明日以降にまとめます。本来はこの部分のほうを書いておきたかったのに!
長くなりました!読んでくださりありがとうございました。

またねー!



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