灰
久しぶりに立ったり起き上がったりすら苦しいほどの鬱に苛まれている。鬱って言えば平たく分かりやすいけど、諸々事情があって病院に行ったりは出来ていないから詳しくは分からない。そこに確実にあるのに名前がつけられないから不安、ということもあるのだろうな、何もかもが敵な気がしてしまう、何にも追い立てられてなどいないのに逃げるように自転車をこいでしまう。しんどくてもやらなくてはならないことがいくつもあって、このしんどさが堪え忍べばいつかまた波が引くように少しだけ楽になるのを知っているから、今日も今日としてやり過ごしながら生きていた。なんで生きているだけで悲しいんだろう。なんで生きているだけで虚しいんだろう。いつまで続くんだろう。この気持ちを掻き消すために、私は「なにか」に成らなくてはいけないのだろうか。ただ、生きているだけなのに、ずっと苦しい。ただ生きているだけ、だから、苦しいのだろうか。ぐるぐる回る思考の中で、じわりと、「いずこへ」の一節が思い出される。あの短編の最後の一節をお守りみたいに抱き締めながら明日も明後日もやり過ごすんだろうな。泣きたくて仕方ないけど上手く泣けなくなった、理由は分からない。
布団のなかで小さくなって起き上がれない時があって、それを無理やり引き剥がして起きる日々を続けていたから、いまツケみたいに苦しいのかな。分からない。「楽しい」を享受することすら今は痛くなってしまうから、安全な場所に逃げてしまいたいけど、最初からそんな場所無かったし、あまつさえ自ら放り出したのだから愚かだなぁと思う。駄文散文を繰り返しても何にもならないけれど、こうやって吐き出していないと、それこそ息すら出来ない。
どう思う?と聞かれて、感想伝えるのがとても苦手だと気づいた。そこにある「正解」を探してしまう。そんなもの無いのだけれど、投げられたボールに対してむしろフリスビーで返してしまうような会話しか出来ていない気がして、適切に的確に言葉を探すうちに、自分がそもそも何にも持っていないことに気づかされる。思慮深い、なんて嘘だ。わたし全然なんにも考えられていない。もっと深く考えなくちゃ、とか、大人にならなくちゃ、とかそんなことばっかり言って、その中身については空っぽのまんまだ。数年前、数ヵ月前に比べて確実に変化している自分がいるのに、どうしても、ずっとずっと空っぽだ。埋めたいのかどうかすら分からない。どうせならそのくらやみに吸い込まれて消えてしまいたくなる。甘えを甘えと自覚できない。
放っておいたって朝になることに最早希望も絶望も無い。事実でしかなくなってしまいました。