生きるということは、死んでいくということ。

生きるということは、死んでいくということ。

言われてみればその通りの言葉ではあるのですが、ものすごくストンと自分のなかに落ちてきた言葉です。
生きているだけで、死に続けている。実感もないまま。自分の死に一番近いのは自分で、自分の変化を自分や他人に理解された瞬間に、死んでいる自分の一部があるということ。また同じくして生まれたばかりの自分の一部もあって。不思議だなと思います。

めっちゃ哲学っぽい話だな、病んでないです。

生きるということは、死んでいくということ。
死んでいくということもまた、生きること。


私がそうであるように、私の周りには死にたいと思ったことのある人が集まりがちで、ついつい「誰しも死にたいと思ったことくらいあるでしょ~」と思うけれど、案外そうでもないことも忘れないでいたい。私が命を絶ちたいと思ったエピソードが、あなたにとっては石ころを蹴れば済む話かもしれない。逆も然りで。そんなこと、じゃないから悩んでるんだ、と思う。けれども、そんなことで悩むな!と言えるのも、色んな経験をしてる大人だけだよなと思う。
そんなことで悩むな!前を見ろ未来を見ろ!とか、言いたくなる日が来たとしても、今しにたい人の目の前には道は無いのだということを忘れないでいたい。崖から見えるのは奈落か海の向こうの朝日だけです。朝日を共に待てる人間になるには、何が必要なんだろうか。

大人の、そんなことで、って言葉に傷つけられたきたことを忘れないでいたいだけ、意地と相違ない。

しにたい、という気持ちが 生きてるから発生する欲なんだよ、って観点を教えて貰いました。欲。死にたいんじゃなくて、死んでみたくなるんだよ、とのこと。死にたいんじゃなくて、楽になりたいだけなんだよ、って。
生きているから苦しい→楽になるには→しぬ、当たり前の思考回路で当たり前に身をなげる。

以前よりも色んなことが考えられるようになったから理解できる考え方なのかもしれないな。でも、欲だと考えると、そう思うのも仕方ないなって思えてきたりします。性と寝食に加えて四大欲求にしたらいいのにな、生きてるからしにたくなる。


理解したことの全てが相手に届けられる訳ではないけれど、それならじゃあ、今目の前にいるあなたに、私が出来ることってなんだろうか?
記憶は思い出す度に美化と変質を繰り返して都合よく色を変えてしまうから、やっぱり、手を繋ぐとか肩を寄せるとか、すぐに消えてしまうような時間と温度くらいしか確かでない気がしてしまうな。

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