あちらこちらに
家から出ないことを善とされる生活になってから、電話を求める人が増えた気がする。形式が電話なだけで、きっと求めているのはその奥にある人の声やぬくもり、存在、ひとりじゃないという確証なんだと思う。そういうものを常に求めてやまない(と自覚している)私は、それまでこの感覚が「分かる人にしかわからないもの」だったから、急にみんなに理解されるような一般的な感覚になったことに驚いている。それまでだだっ広い空間にぽつりぽつりと居る人が細々と繋がっていたのに、急に「あちら側」の人たちが入ってきて埋め尽くされた空間で、私はいま、どうしていいか分からなくなっている。
電話、複数人とつなぐものを、雑談という形式ではおよそ初めて経験したのだけど、正直な感想としては「どう振る舞っていいか分からない」と思った。なんだか気持ち悪いなとさえ思った。いつもは誰の孤独にも見向きもしない、気づくことも無い、自分の幸せのみで世界の視点が完結している人達が、なんだか寂しがって他人を求めていて、少しでも人と繋がろう、孤独から逃げようとしていて、怖い。みんながこちらに来る前から、わたしはこっちに居て、こっちに住んでいて、それとなく守り合っていた「こちら側」の人とのパーソナルスペースや生活空間を、どことなく乱されている気がある。
私は私で、「こちら側」にいる自分のアイデンティティとか、そういう自意識を愛していたんだなと思う。辟易、最悪の気分とまで思う。
もしこの気持ちや感覚が、もともと「あちら」に居た人たちと部分的に共有できるようになったとしても、私の抱える根本的な独りの感覚は、おそらく決して共有できない。そういう、うわべの共有が「こちら」まで侵食してきた気がして、また、身動きが取れなくなりそうだ。
生きづらさを、自分で作っているんだろうな、と思う。じゃあどうやって生きればいいんだろうな、それはまだ分からない。