振り返り


3時間以上かけて地元と京都を往復していた時期があった。メンタルが不安定で、長時間1人でいると死んでしまいそうだったから。その時期のお陰で(金銭的には苦しい生活に足を踏み入れてしまったけれど)今生きていられているのだと思う。あの時期のおかげで、って思う時期が結構多くある。でもそれはずっと自分の希死念慮と並走してきたことの証明でもある。


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基本的に人の誘いを断らないようにしている。けど人と会って回復するタイプの人間ではない(稀にあるけど多くは消耗する)から、つい休息日を忘れて予定を組んでしまう。最近は2週間に1度休みがあるかないか、みたいな謎の生活をしている。日々の拘束時間は短めなので休めているものの、休みがあったって1人で何していいか分からないのが常だった。みんなどうやって生きているんだろう、そればかり考えて暮らしている。あまりにも普通だけれど、わたしは普通の人間になりたい。イタい発言と捉えられても仕方がないけれど、わたしは普通の人間になりたい。それが無を意味する言葉だとしても、思ってしまう。

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圧倒的に面接が苦手だ。ふわふわと生きていたくて、言語化せずに曖昧にしてゆとりを持っておきたくて、そうすることでやっと色んなものから逃げて生きてこられたのに、そういうもの全てを突き詰めて言葉にしてあまつさえ他人に話すという行為、にわかに信じがたいと思ってしまう。そんな程度のことから分かることで判断される。本当に苦手、駄々でした。

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別に生きても死んでも構わないけれど今すぐ死ぬ理由も特に無いからなんとなくで生きている。みんなそんなもんなんだろうと思う。理由がほしいから結婚する、のは、合意のうえなら良いと思う。(子供を産むとなるとまた巻き込む単位が違ってくる気がするから別問題とは思う。)
カップルも友達も他人同士の寄せ集めだけど、繋がりを定義するのは一体何なんだろうか。今の私は誰とも繋がっていないような気がした。どうでもよかった。

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結局人と違うことをする勇気がないだけだと思った。どうしたらいいか分からなくなる場所が苦手だし、求められれば逃げ出したい。

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去年のことをもう何年も前のことのように思い出す。日々は流れていく。流されたって構わないけれど、今じゃないと思って流されないように生きている。それが何になるかと言われると、閉口する。


会えなくなっても思い出を大切にすることは出来るはず。ではまた。

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