日記 ~12/4
やりたいことをやる、そればかりが良いことのようにうたわれる就活の場面に違和感を覚え始める。やりたいことやらなくたって別に死なないと今更気づく。やれたら良いよね、ぐらいの感じなのに、そこに強制力があるように感じるのはどうしてだろう。
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人の顔色を伺う割に空気が読めないので本当にダメ。伺いすぎて嫌われるタイプの生き方を今日もしてしまう。改めたいのだけれど萎縮してしまう。本当にダメ。自分に×をつける仕事を今日もこなしている。
めんどくさいことに「めんどくさい」と言うことすらめんどくさくて流れるように日々を生きている。たしかなことなんか月一ぐらいも起こらないし革新的なことも何もない。踠き続けた一年に流石に疲れが出ている。皆に会いたいけど皆って誰だろう。話しかけたい人には話しかける勇気がないままきっと終わってしまう。新しいことが起こり続ける日々を生きる人には、忘れることが出来ない人の気持ちってきっと分からない。思い出って結局つらいこともたのしいことも上塗りだから、それが出来ないと時間が止まったみたいに生きていってしまう。田舎だと何となくそれが起こりやすいなと思う。文化機会の損失をまざまざと(?)感じる。若いうちは都会に出て色んなモノを見て経験した方が絶対に良いと思ってしまった。若いうち、とか言えるのいつまでだろう。色んな事へのタイムリミットが怖い。
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しとしと、という表現が適切な雨が降っている。こういう音はきれいだと思う。
引っ越してから雨が多くて、(というかこの土地に雨が多いことを忘れていたし以前はそれで当たり前だったので気づかなかった、)気候は人柄に大きく影響するなと思う。あの街にあのまま居たら確実に死んでいただろうけど、それでも都会なだけ住みやすかった。目先の支出を数えて生きていくのが辛い。
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なぜ生きているか分からない、とよく他人から溢されることがある。そんなの分かっている人なんてほぼ居ないと思っているから、それで悩む理由が分かるようで分からないでいる。生きている理由なんて生まれたから、それだけで、そこに価値や意味を付与したがるのは人類規模の悪い癖だと思う。なぜ生きている分からないのなら探せば良いし、それで見つかれば儲けもんで、見つからなくて途方に暮れて諦観を身に付けるまでがルーティン的なものだと思っている。生きている理由が分からなかったからって、そういうことで悩む人は大抵死ぬ勇気もないはず。ここまで断定的に語れてしまうのは、既に通り過ぎた道だからなのだろうな。
喉元を過ぎれば熱さを忘れる、本当に真理で悲しくなる。結局真の共感なんて無いのだと痛感させられる。私は私のことしか分からないし、私のこともさして分かっていない。
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あまりにも1日、1週間、1ヶ月が早すぎる。師走もびっくりです。風邪ひかないようにやっていきましょうね。
がんばるぞー。