日々
大切なものは大切だからこそ一番近くに無くても構わない気がしてきている。物欲とか、無いわけではないけど切り捨てられる程度のものばかりになってきてしまっていて、無くても困らないものはなくて良い、みたいな感じ。無くても困らないけどあったら嬉しい、で人間のいろんなところが機能してる気がするのに。物も人もきっと本来無くても困らない。大切にするとかされるとか、そういう言葉を受け取ることにすら質量があって、そういう重みからどこか逃げ出してしまう。怠惰に1日をやり過ごす。しがらみというか、言葉遊びみたいになるけど、思いは音通り重たいものなんやろうな。自分も他人も。思いを交換したり言葉にしたり行程をたくさん挟むわけだから、人間関係もめんどくさくて当たり前だ。思い悩むと鈍痛がして収まらないからまた眠ろうと思う。
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自分自身の色んな事に対して「いい加減にしろよ」と思い続けて生きている。しゃらくさい自分と明日も付き合っていかんならんし。こんな自分嫌だなって思った瞬間、理由を探したり分析したりすることは後回しにして、とにかくそんな自分から徹底的に距離を置くように努めている。今年の目標は「楽しくやる」だったんですけど、概ねクリア出来そうなので(コロナで大幅な予定変更と修正があって、でもそのおかげで未知との遭遇もあった気がする)、この調子だと来年は「自分を好きになる」が目標になりそう。
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いよいよ私ぬぼーっと生きて気づいたら23を迎えてしまっているのでしょうね。あんなに死にたかったのに。あんなに毎日、毎時毎分毎秒、死にたかったのに。
今でさえ無くならないけど、おいそれと「治療」するのも怖い。私は短いなりに人生の半分くらいこの気持ちと共に生きてきたから、その気持ちが無くなったとき大きく自分が変形する気がする。それが怖い。死にたいって気持ちは、良い悪いで言えば「善く生きる」観点においてまぁ良くはないとおもう。そういう気持ちにある種依存しながら生きてきて、変な言い方になるけど、その気持ちにむしろ支えられて生きてこれたと思う。簡単に他人に介入されていじくり回されたい感情でもない。心なんて薬剤ひとつで調節できる程度の重みしか無いんだろうけど。
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関係性に1か10しか無いと疲れる。相変わらず上手く出来ないけど、にしたってこれは酷すぎる。最近こんな調子で「バランス保ちたい距離感とりたい」みたいなことしか書き連ねてないけど、本当にそれに尽きる日々しか送れてない。ずっとどこか(本当に何故か)体調が悪いうえに色々と考えさせられることがあって、ちょっとずつ手付かずになって荒れ果てていくのを見届けている心持ち。
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今年。
やらない理由を見付けて逃げるのがカッコ悪くて死にたくなったから「今しかない」を掴んでみたら少しだけ友達が増えた気がする。まだ片手で足りるくらいかもしれないけど、それでも嬉しいしありがたいや。誰かの日常に指先だけ溶けてるみたいにして生かして貰えるのが本当にありがたいと思う。
本当にずっと行きたかった所にも行けた。本も作れたし。
「やり残したことリスト」ももうほぼ埋まりきった。いつでも死ねるけど今日も生きてる。
大学生活、友達がもうちょっと多ければもう少し楽しかったかな。誰かと一緒に何かをする、それが遊びでも、すごく楽しいんだな。気づくのが遅すぎた。
どこかに属することは相変わらず怖い。どこにも属さず誰にとっての何にもならず漂っていたい。家族、にも、友達、にも、それ以外の大小問わない何かしらのくくりに、どうもずっと疎外感を感じ続けてきていたようだから、自分で思っている以上に「居場所」を提供されることが恐ろしく感じているのだろうな。中途半端に縛りがあるのが心底嫌い。分からないから言葉にしてよ。言葉にしたって分かり合えないけど。
話を戻す。今年。ライブに全然、本当に全然行けなかった。ライブの日にグッズ身につけて物販列に並ぶこともなかった。そもそも意識的にグッズ(特に衣類)を身に付けるようにしないと、それを身に付ける機会すら無いのが嫌だった。音楽と文学がないと多分生きていけない部類の人間なんだけど、わたしの半分以上を占めそうなそれらと半強制的に切り離されても生きていけてしまうことが本当につまらないと思った。
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長くなりました。本、予備も含めて完売しました。本当にありがとうございます。
ぜんぶ発送してお手元に届いたであろう頃に、あとがきらしきものをまた書きますね。
私はなんやかんや私の文章が好きです。
健やかに過ごしたいですね。では。