綱渡り出来ない
客観的であることと、人と比較しないことのバランスが難しい。これに限らず、いろんな物事のバランスをとるのが上手な人って、本当に生きていくのに向いているな、と思う。世渡り上手というワードを聞けば脳内に綱渡りをしているピエロが思い浮かぶのだけど、そういうイメージから、世渡り上手って綱渡り上手で、つまりバランサーだなと思う。いろんなことに、柔らかく、角を立てないで、でも自分の思っていることや言いたいことははっきり伝えられて、そのうえで合わない関係性に対していちいち引きずったりしない。いいなぁって思うけど、そうなれている自分のことは一切想像がつかないし、そういう生き方を今よりも若いころに「ずるい」と思ってしまってから、なんだかずっと「こっち側」なんだろうなと思う。
何でピエロなのかは分からない。
最早、所謂「以前の生活」が思い出せなくなってきている部分がある。夏フェスもお祭りもないけれど、それが今年だけだとは言い切れないのが現実味を帯びてきているから、余計にそう思う。いまだに「早く前みたいに戻って欲しいなぁ」と子供っぽい顔で思う気持ちは消えないけれど、この先にあることも今の続きでしかないから、完全に「前みたい」にはならないんだろうな。触れ合うような距離感そのものが悪っぽくなっている風潮の中で、私たちはどれだけ相手の体温や息遣いを大切にしていけるのだろうか。間接的なふれあいの間に必ず消毒のひと手間が加えられていて、一体なにがばい菌なんだか分からないな。ばい菌、とか、を殺しているのか、殺されているのは私の一部なのかな、とか。こういうメンタリティそのものが、バランスをとれない所以である。
小さいころから、出来るなら私は物差しになりたいと思っている。生まれ変わったら~になりたい、って誰もが一度くらいは触れ合ったことのある価値観だと思うけれど、猫になりたい!とか、次は今とは違った性別になって見たい!とか、聞いたことあるけど、同じように語っている人に出会ったことはまだない。共感してくれる人が居たら教えて欲しい。物差しになって、事物と事物の間を適切に測ることが出来たなら、大切にしたいものをきちんと大切にできた、んだと思っている。物差しになったことがないから、真偽はまだ分からない。来世に期待。
描き上げたい話があるのですが、自分の中で大事だからこそうまく言葉が出てこなくてまとまらずに困っている。そういう言葉こそ向き合わないといけないと誰かが言っていたので、のんびりと時間をかけて形にしていけたらいいと思う。
心身共に健康になりたい。ゆるめにいきましょうね~