12/18

忙しいことを言い訳に言葉を重ねるのは違うなと思っていたら、少し期間が空いてしまいました。

年の瀬がいよいよ近づいてきて、1年をさらさらと振り返ってみたけれど、去年と今年は個人的に本当に激動だったと思う。やっと腰を据えて頑張るべき場所を見つけられた気がするので、しばらくはまたそこで足掻いてみようと思う。

笑えるくらい真剣に深刻にお金がない。あまり向き合いすぎるとしんどくなるので、長年続けていた家計簿をつけるのをやめた。私は私をある程度大切にしながら生きてみる、誰もそれを責めない気がしたから。

こんな言い方をすると少しイタいけど、例えばちょっとした悪ふざけが相手を傷つけてしまったとか、代償問わず人は罪を重ねて生きていくものだと思う。生きていること自体が罪っていうと極端すぎるけど、遠くはない思想を持っている。そういう、ありとあらゆる罪を忘れていったり、自覚せず生きていけてしまうことはあまりに幸福でひどく残酷なのだと思うようになった。

10年前の若い私は、大人になった私に当時の自分の思いを忘れてほしくなくて、言葉にして遺すことをはじめたけれど、それすらも捨てて良いと思えるようになった。覚え続けておくことは出来ないし、忘れていくからこそ一瞬は尊いのだし。生命賛歌みたいなこと言うつもりはないけれど、度々あらゆるどうでも良いはずのことを思い出して勝手に苦しむ癖のある私には、これもまた私自身を守るための考え方だったりする。

ツイートもしたけど、結局、突き詰めなくとも人は永遠に孤独なのだから、ある程度自分で自分を愛することでしか乗り越えられないものがあるなと思う。愛されたい欲と向き合って、そこにあるものと対話して、どんな形であれ根本的なものに自分のなかで決着をつけなくてはいけない。諦める、という形であっても構わないと思う。弱さを弱さのまま受け入れることが強さとよく聞くけど、受け入れただけでは決着はつかないと思う。下すべきときにきちんと決断しなければ、と、今の自分は思うのです。

ゆるゆると、やわやわと、漂うように生きていたいと今も時々思うし、過去の自分はそうやって思っていたけど、決断を先送りにして良いことなんて何もなかった。

なんだかんだ書いてきたけど、自分の人生を自分で背負う覚悟の話なんだと思う。自分は自分で死ねないことに腹をくくってしまいました。仕方がないので生きてみます。

若いのに、とか言われなくなるのが本当に怖くて、ずっとどこかで焦って大人になろうとしている自分がいると思う。
遠回りしても、結局それが最終的には退化であっても構わないから(できれば嫌だけど)、少しずつずっと前に進んでいたい。
同じところでとどまって、解決する気もないのに「なんでだろう」とか「むずかしいね」とかへらへら笑っていたくない。変わり続けながら、それでも変わらないものを大切にしたい。

と思う一方で、これは多分すごく自分の今の心身の体力に合わない生き方だから、ペースを考えないといけない。悔しいけどまた壊れたら今よりも戻らない。

今年1年は自分で言うのもあれだけど本当に頑張って乗りきった。乗りきれたのはただただ周りのおかげ、周りのおかげで頑張ってこれたとつくづく思う。
これが今年最後の更新か、またあるか分からないけれど、来年は多分今よりも頻度が下がると思います。
また生きて会いましょう。

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